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六
夏休みに入ってすでに半分は過ぎていた。蘭はまだ忙しく会う機会も少ない。
去年は「コナン」で今年は蘭がこうだから。そういえば、一昨年もオレ、夏休み中部活で。中学の時には仲間内で海には行ったけど、二人で行ったことってなかったな。
そんな時、見透かしたように母さんから手紙が届いた。「来れば?」と航空券も同封されていたりして。
一人で行くのはさびしいよな。蘭と二人で高校に入ったばかりの頃に行ったっけ。ロスにニューヨーク。残念ながらいいことばかりでもなかったけど──散々事件に巻き込まれたよな──あんなふうに二人っきりで行くのなら旅行も楽しいのに。
そして、タイミングよく(だか悪くだか)蘭から絵葉書が届いてビックリした。なんと沖縄から。撮影がクランクアップしたと思ったら、早速キャンペーンに忙しいらしい。「沖縄の海はきれいだよ」と走り書きがあった。
ちぇっ。一緒に海へ行こうって言ったこと忘れたわけじゃねーだろ?
オレと行くより先にあの役者のヤローと一緒に海行ったのか?まさか水着姿をカメラなんかに撮られてないだろうな?
だいたいオレより先に他の誰かが蘭の水着姿を見るなんて……、なぁんか気分悪い!!
それで?帰る日はいつだ?……書いてないか。
心がじたばた。
よし、暇つぶしにロス、行ってくるか。──オレは気を紛らわせるために飛行機に飛び乗った。
そしてロスでは。
父さんは相変わらず小説の締め切りに追われ、オレは毎日母さんとデートする羽目に陥った。自慢げに連れまわすんだな、これが。
来たことを半分後悔しながら、帰り支度はじめたオレを母さんがさびしそうに見ていた。
母さん、相手が違うだろ。つなぐ手はそっちだって。あの海での父さんと母さんを思い出しつつ…。
帰ったらすぐに蘭に電話しよう。
蘭はというと、キャンペーンであちこちへ出向き、時にテレビにも顔を出す。
小五郎はそんな娘を自慢に思う反面、心配でならなかった。
新一不在のそんな折、蘭と例の草場との仲がマスコミの間で噂されるようになった。当然、以前のホテルでの一件から蘭は彼の部屋になど訪ねることもなく、二人きりで会うことも食事することもなかった。しかし、おもしろおかしく書きたがるのがマスコミ。芸能レポーターだ。
蘭も、もうそんな質問や追いかけられることにもうんざりだった。
「演じる」ことは楽しく、そして映画も撮影が終わった。もう開放してほしいのに。これから受験だってあるのに。充実した日々から一転、今はうとましい毎日となっている。
キャンペーンだって好きじゃなかった。でもこれも仕事の一貫と割り切って作り笑いして。そうするうちに忘れていくような気がして怖かった。本当の笑顔を。
ある日、小五郎が言った。
「オメー、そんなんで大丈夫なのか?楽しいのか?」って。
更に、こんなありもしないうわさ話に翻弄されるのを見て、「もう、やめちまえよ、女優なんて」と吐き捨てた。
最初から女優を続けるなんて思ってはなかったが、これも楽しいと次第に思ったのも事実だった。だけど、こんな思いするくらいなら…。
疲れていたのかもしれない。
朝、起きると快晴で、夏の高い空が白い雲が目に染みる。気づくと涙ぐんでいる自分に驚いた。
仕事が入っている。取材が一件、午後から。…憂鬱だ。
蘭のなかで何かが弾けた。
『いっしょに、海、行かねーか?』
声が聞こえる。新一の声だ。あの夏のはじめの約束だった。
行きたいな、海……。新一と。
思い立って電話してみるが、新一は不在で電話には出なかった。携帯もオフ。
だけど、海──。海を見れば心が落ち着くような気がして。だから飛び出した。
小五郎がすかさず呼び止めた。
「おい、仕事か?」
「ううん。これから新一と海に行って来るっ!」
嘘だけど嘘じゃない。そんな気分。取材は……あとで電話を入れて断ろう。
海に行くと決めたらなんだかわくわくしてきた。
そんな娘の笑顔に小五郎はちょっと安心しつつも、新一という名を正直妬んでもいた。
あいつを笑顔にできるのは新一しかいないってわけか……などと口惜しくも思う。朝から酒でも飲みたい気分にまでなる。
だけどそう簡単にはテメーにはやらないからな!!…挑戦的にこんなことをつぶやきながら事務所の窓から蘭のうしろ姿を見つめた。
久し振りの、十日振りの日本に、さほどの懐かしさはない。
そりゃ、そうだな。懐かしいのは、ただ蘭だけ。
しかし暑い。丁度午後の日差しが一番キツイ時だもんな。ああ、まいった。こんな時には、思いきり海にでも飛び込みたいもんだ。
海…。蘭と行きたかった海。約束の海。
携帯で蘭を呼んでみた。…電波が届かないところにいるか電源を切っている……か。仕事かな。どこにいるんだろう。
蘭のいない街に帰るのもつまらない。やっぱりあの海に行こう。
電車を乗り継いで、郊外の海へと向かった。
その頃、蘭は迷っていた。ホントに方向音痴で困ったもんだ。
確かな情報もないまま電車に飛び乗ったものの、行くあてが自分でもわかっていない。適当な駅で降りたって途方に暮れた。
時間は…。もうとっくに昼を過ぎていた。日差しが痛い。
この駅に降りたわけは、電車の中から海が見えたから。砂浜が見えたから。
だけど急いで降りてはみたものの、そこには海などなかった。ただ閑散とした駅で蘭は途方に暮れていた。
「どうしよう…」困ったときの神頼みならやっぱり──もう一度、新一に電話をしてみよう。お願い、電話に出て!!と祈りながら。
小さい頃の記憶をたよりに、電車に乗り継いでその場所に向かう。あの時は車だったから、最寄の駅がどこなのかわからない。駅に着いたとしても果たしてたどり着けるんだろうか?
その時、電車のなかで携帯がオレを呼んだ。オレは慌ててデッキに出て急いで電話に出た。
「はいっ」
蘭か?と喉元まで出たけど堪えた。
「新一!?」
懐かしい声にドキドキしていた。声を潜めて話しをする。嬉しくて携帯を持つ手にも力が入った。ああ、すぐに会いたい。会いに行きたいっ!!
「今日、仕事は?」
「すっぽかしちゃった…。そうだ、連絡入れておかなくちゃ…忘れてたわ」
「おいおい、どうしたんだ?何かあったのか?」
「ううん、ただ…、ただ海が見たかっただけ」
「海?」
蘭も海を探していた。オレも今、海を探してる。だけどその前に蘭を探さなくちゃ。
蘭のいる駅にオレは向かった。
蘭のいる駅は、なんと各駅停車でしか行けない小さな駅だった。こりゃ時間がかかるわけだ。だけどその途中に電車から見えた光景は素晴らしかった。その輝く海にオレも惹かれた。蘭の奴、だから、ここで降りたんだな。
あの海じゃなくても、そう、蘭がいればそれでいい。オレたちはオレたちで、思い出の場所を作ればいいんだ。
そして到着した駅に半べそをかいた蘭がいた。
「新一ぃ!」
オレを見つけるやいなや腕にしがみついてきた。
「蘭、どうした?」
子どものように泣きはじめた。待合室にいる老人が訝しげにこちらを見ている。
「なんだか心細くて…、どうしようって…思ったの。仕事もね、さっき電話入れたら…そりゃあ当たり前だけどすごく怒られて…。もうどうしていいかわからなくて……」
ただの迷子の子猫だな、蘭は。
「せっかく来たんだから、海、行こう!なっ」
蘭は頷くと、少しして笑顔を見せた。
「とりあえず涙拭けって」
照れてハンカチを渡した。だって、その笑顔はとても久し振りの、すぐにでも抱きしめたくなるほどに愛しい笑顔だったから。
さて、ここからどうしよう。海はどこだ?
売店のオバチャンに聞く。ここからだとレンタサイクルで行くのが一番いいだろうと言う。本当は一駅前で降りたらよかったんだけどね。便も少ないし……あいにくだったねと笑っていた。
早速自転車をと思ったが、この閑散とした駅だ。自転車あるのか?と心配した。駅向かいの自転車置き場兼レンタサイクル屋で聞くとあるにはあるがと頭を掻く。……たった一台あるだけだと言う。
こうなったら一台借りて二人乗り。これしかない。
海への道を聞いて走り出した。
自転車で二人走りながら、以前にもこうやって蘭を乗せたことがあるなと懐かしむ。
流れ星を見ようと蘭を夜中に引っ張り出したんだっけ。あれは中学の頃か。真っ暗な中で二人で空を見上げた。流れ星をいくつも見つけて願い事をした。蘭はなんて願い事したんだろう。聞いても笑って答えなかったな。オレも笑って答えなかったけど。
あの時の願い事。「このまま時よ止まれっ」なんて言えねーよな、恥ずかしくて。
そんな昔を考えていると、ふと景色が満天の夜空になった気がした。タイムスリップしてあの頃に戻ったみたいに。
また二人で流れ星探したいな。…なあんて。自分の考えがあまりにも乙女チックなことに気づいて苦笑してしまう。
そんなふうに悠長に自転車をこいでいたら、出会い頭の車が随分行きすぎた後でこちらに向かって叫んでいるのがわかった。狭い道ですぐにはUターンができないらしく、車の窓から顔を出して叫んでいる。
「あー、青山さんだ!」
蘭のマネージャーらしい。
更に継続の車も停まって、こちらにカメラを向けている。なんでカメラ?よくわからないがここは逃げよう。
全速力で自転車のペダルを踏む。急な坂道だったから、その速さはジェットコースターにも負けないと思った。車はなかなか追って来れない様子だ。おそらくUターンするのに手間取っているのだろうと見た。と言っても追いつかれるのは時間の問題だろう。
と、急カーブに差しかかった。
「蘭、ちゃんとつかまってろよ!」
「うんっ」
坂道のカーブを斜めになって曲がりきる。風が気持ちよく爽快だった。何よりもオレにしがみつく蘭の存在が心地いい。空を飛んでいるような最高の気分だった。
が、そこに再び急なカーブが迫った。
「うわ、やべーっ」
余計なことを考えてたものだからスピードを落とすのが遅れた。
…ガシャンッ。
これは自転車が壊れる音だ。蘭もオレも無事なのはよかったが、自転車は見るも無残な姿となった。再起不能。
「ビックリしたー!!」
蘭が大笑いしながら言った。オレもなんだかわからないが可笑しくて笑いが止まらなかった。
「大丈夫か?」なんて聞いたのはひとしきり笑ったあとだった。
だけどこうしてはいられない。自転車を木の陰に隠して、海に続くかと思われる岩場に足を踏み入れる。
そして、ふと耳をすますと波の音。海は近いぞ。
「ここから海の方へ歩こう」と蘭の手を引いた。
生い茂る木々。果てしなく続くかのように見える岩場。音は聞こえてもなかなかその姿を現わさないその海──。
「あれ?」
オレは、今ごろ気づいた。
「なに?」
蘭が顔を覗きこむ。
「ここ、ひょっとして…」
海はもうすぐ、きっと二人の前に現れる。
必ずその場所に今、蘭を連れて行くから。この手を絶対、離さないから。
さぁ、一緒に海へ行こう!