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四
何度も繰り返してしまうすれ違い。いつもいつもそばにいたい、ただそれだけなのに。
無言で立ち去った蘭のうしろ姿が目に焼きついて離れない。また大事なものを傷つけてしまった。
終業式。
期末試験の結果が朝一番で掲示板に張り出された。今回ばかりはさすがに緊張した。
いやしかし。これでトップを取れたとしても蘭とうまくいくかと言えばまた別の話。この辺がちょっと辛い。
すでに掲示板前は人垣が出来ている。そっと紛れて自分の名前を探した。
張り出されているのは五十位まで。つい後ろから順位を追っていく。トップを目指して勉強してたならトップから見ろよな、と自嘲する自分がいる。
順位を追ううち、そういえばと蘭の名前がないことに気づいた。ああ見えて蘭は五十位以内の常連だったはずだ。やっぱりこの時期あんなことしてるから…。そこまで考えて、蘭に手を出そうとした自分を思い返し心が痛んだ。
気を取り直して、更に順位を追う。二十位以内に入って、周囲の雑音が聞こえなくなった。自分の心臓の音だけが響き拳を握り締めていた。
そして。一位に「工藤新一」の文字。間違えなくオレの名前だ!!やった!とりあえず、やったぞっ。おい、蘭、見てるか?
ぐるっと回りを見まわした。オレはただ蘭に知って欲しかった。蘭を探していた。
人だかりの向こうに蘭を見つけ近づこうとしたが、周りのクラスメートやそこに現れた担任教師に呼びとめられ取り囲まれた。
「工藤くん、おめでとう!」
「よくやったなっ!」
祝辞はうれしいが、みなで肩をたたいたり突ついたり。オレは揉みくちゃにされていた。
蘭が遠目でこちらを見ていることにオレは気づいていた。その微笑に胸がいっぱいになる。一瞬目が合って、その口元が「おめでとう」と動いた。ああ、その声を聞きたい…。
あれ以来、蘭は少しオレを避けているように思えた。映画の撮影の方が忙しいこともあるようだが。…けれどそれを聞くのが怖い。蘭に愛想つかされるのを恐れている。
明日から長い夏休みがはじまる。ひとりぼっちの夏休みがはじまる。そう思うと、もう一言、蘭に…。蘭に言葉をかけたくて追いかけたくて、思いは募った。
一学期最後の下校時に、オレは一人だった。隣に蘭がいない。
どことなく手持ち無沙汰なふうにオレはのんびり歩いていた。急ぐ用事も何もない。そこへ前方から走り寄る影を感じドキリとした。…が、なんだ園子か。(蘭ならよかったのにと、園子には悪いがため息まで出てしまった。)
「新一くん!!」
「よぉ!」
「あなたたちいったいどうしちゃったの?せっーかくこの園子様が一肌脱いであげたっていうのに!」
この前の電話のことを言ってるんだな?
「だぁれが脱いでくれって頼んだよ!」
ぶっきらぼうに言ってしまうのは悪い癖だ。あの時はかなり園子に感謝もしていたはずなのに。
「誰にも頼まれないわよ、そんなの。でもさ、なーんか見てられなかったんだもんっ」
園子もいいとこあるよな。内心そう思っていた。
「最近、蘭、どうしてる?」
「うん、相変わらず撮影たいへんみたいよ。この暑いなか、冬のコート着てロケなんてのもあるってぼやいてた…」
「そりゃ、大変だ」……って。おい、園子、オレはそんなこと聞いてんじゃないぞ。
「でもどうして?喧嘩の原因ってなんなの?」
「喧嘩?蘭がそう言ったのか?…喧嘩なんてしてねーよ。オレが勝手に……(ヤキモチ妬いて蘭を困らせることばかりしでかして…ボソボソ)」
「え?なに?」
やばいやばい、つい本心言ってしまいそうになったぜ。
「とにかく!!」
いきなりまとめに入った園子は、オレの前に仁王立ちになって宣言した。
「蘭をこれ以上泣かしたらわたしが許さないからね!!わかったわねっ」
そう言うと駆け出して行った。…そうか、それが言いたかったんだな。
蘭はつくづくいい友達を持っていると思う。そして、あいつ──園子が男でなくて本当によかったとオレは何度思ったか知れない。
だけど、蘭…泣いてるのか?園子は言った「これ以上泣かしたら…」って。
家にたどりついて驚いた。俯きがちに歩いていたらしく気づくのが遅かった。オレの家の門の前に蘭が待っていた。
また園子の奴。…サンキュ。オレはこっそり心の中で園子に手を合わせた。
「園子から聞いたわ…」
顔を赤らめ蘭が言う。
「聞いたって……何を?」
蘭の顔が更に赤くなる。
「何って。だいたいそんなこと園子にことづてないでくれる?恥ずかしいでしょ?」
そんなことって?身に覚えがなくて顎に手を当ててみる。
「なんだよ、それっ?」
「わたしの口からそんなこと言えるわけないじゃない!!」
怒ったように言う。そんなことってどんなことだ?わっかんねぇ。園子の奴、一体何を……?
『いつでもオメーのこと思ってるからよ…って蘭に伝えてくれって頼まれちゃったの。あやつも言うわね。思いつめてたみたいよ。いいの?先に帰っちゃって』
蘭は先ほどの園子の台詞を何度も何度も頭のなかでリプレイしていた。園子からの伝言なのに、「いつでもオメーのこと思ってるからよ」とそこだけは新一の声がこだまする。だから余計に顔は火照った。
わけのわからないオレは、なんかとんでもないことを園子が言ったに違いないということだけはよくわかった。聞かない方がいいかもしれないとさえ思う。
「それより、トップおめでとう!いつの間にあんなに勉強してたの?」
話題が逸れてちょっとホッとする。
「ははは、あんなの朝飯前だって」と、またカッコつけちまった。ダメだダメだ。思い直して。
「ってのは嘘。これでも必死で勉強したからな。蘭のために…」
あ、いけねっ。「蘭のために」は余計だった。
「え?わたしのためってどういうこと?」
目を丸くして蘭が見つめる。その瞳に弱い。
「いや、オレ……」
カッコつけもやめなきゃ。蘭の前じゃそのまんまのオレでいたいよな。
「オレ、中途半端で自分がなさけねーなって。…ここんとこ特に。蘭は見るたびに前向きで、夢もあって手も抜かず頑張ってる…。オレはこの探偵業にしたって蘭のことで頭がいっぱいになると推理なんて出来なくて全然使いものにならないし。…結果依頼もずっとここんとこ来なくて。受験にしたって、蘭と一緒ならいいやなんて安易に考えてしまう自分がいたり」
「新一…」
蘭が驚いた目をしている。その目をじっと見つめて、更にオレは続けた。
「それに蘭は会うたび綺麗になってくしな…。なんかオレだけガキのまんま。置いてかれるような気がして……なんか焦ってた」
蘭の目に映っているオレの頼りない目。こんな目してちゃダメだな。
「だから──。手っ取り早く結果が出せるモノで勝負したってわけ」
少し胸を張って見せた、ちょっと無理して。それこそガキだってわかってないわけでもないんだぜ?
「で、トップの祝いに褒美はねーのかよっ」
オレの冗談めいた一言に蘭が真っ赤になって「バカ!!」とソッポを向いた。
「…って何を想像してるんだよ、オメーは!……あ、もしかしてこの前の続き……」
言いかけた言葉を素早い平手が遮った。パシッ!!
穏やかに話しながら、不意に先日のことが気になりはじめた。この前のことをどうして蘭は責めないんだ?
「怒ってないのか?」と恐る恐る聞いた。
「…うん。もう怒ってなんかない。だって、新一、またいつもの新一だもん」
ふっきれた顔をしている。
「あん時は悪かったな………ごめん」
ようやく謝ることができてオレもすっきりした。
「うん…。わたしもごめん」
「え?」
「わたしね、もし、あれが逆の立場だったらって考えてみてはじめてわかったの」
「逆の立場?」
「うん、そしたら今ごろ新一半殺しよね?」と言って笑う。半殺し?怖い奴だぜ。性質(たち)が悪いよな、空手で都大会優勝の女なんてよぅ。
…あ!!そうだった。蘭には空手がある。今ごろ気づいた。なのにあの時、技ひとつ使わなかった。あんなに悲しそうな目をして抗ったくせに。オレを気遣ってのことか?
「蘭…、なんであの時、空手の技出さなかったんだ?」
「あの時って?」
「だから、ホラ、この前……」
つい目を伏せながらそう言うと、蘭はくすっと笑って答えた。
「だって。だってね、新一ならわかってくれるって信じてたからだよ」
こんなオレをどうして信じられる?オレ自身が自分を信じられないでいるっていうのに。
「それにオメー、なんで言い訳しなかったんだ?いざとなったら空手があるって。だから、あの草場って奴に対しても無防備でいられたって」
「そんな言い訳通用しないよ…。でしょ?」
なんだ?オレの気持ちはみーんなお見通しってわけか?オレ以上にオレを信じていてくれる。その強い思いに完敗だ!!
「負けた…!!オメーはなんでそんなにつえーんだよっ!」
蘭への賞賛の言葉だった。それをどう取り違えたのか、
「新一も強くなりたい?いいわよっ、相手になってあげるわよ。かかってらっしゃい!!」
言うが早いか、蘭の右足が空を舞った。
「はぁぁぁぁ!」そしてオレの顔のそばでピタリと寸止め。…冷や汗。あ、でもちょっとラッキー。……白だった。
「もうちょっと、ちょっとだけ待ってね。撮影が終わったらどこか遊びに行こうよっ」
まだまだ多忙なわけだな。でも、それももう少しだけ。だけどホラ、受験が、と言いかけてやめた。
「いっしょに海、行かねーか?」
「海?」
振り返り様の蘭の笑顔がキラキラと輝いて見えた。
「また、なんかやーらしいこと考えてるんでしょ。やーねー!」
頬を染めて照れている。全くこいつは…。
蘭はちょっと嬉しそうに、さりげなくオレの手を取った。
いいのか?おい。この手、オレは離したくなくなるぞ。よし、もう離さない。絶対離さないからな?…そして、その手を強く握り締めた。
「でも二人で海行くなんて久し振りだよね」
蘭は幼い日々や「昨年はかわいい騎士(ナイト)と一緒だったのよ」などと海の思い出を語っている。
そんな蘭の横顔を見つめながら、オレの耳に懐かしいメロディが通り過ぎていく。むかし親父がよく聞いていたあのスタンダードナンバー──「BE MY BABY」
The night we met I knew I needed you so,
And if I had the chance,I'd never let you go.
So won't you say you love me
I'll make you so proud of me,
We'll make'em turn their heads ev'ry place we go.
So won't you please
Be my little baby.
Say you'll be my darling
Be my baby now.
I'll make you happy,baby,just wait and see.
For ev'ry kiss you give me, I'll give you three.
Oh,since the day I saw you
I have been waiting for you,
You know I will adore you'til eternity.
(written by Phil Spector,Jeff Barry,Ellie Greenwich)
そうだよな、夏ははじまったばかり。海に行こう、きっと二人で…。
蘭に恋焦がれる夏。こんなのははじめてだった