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三
蘭とは、しばらくよそよそしく過ごしている。まともに視線を合わせられない。蘭が何か言いたげなことに気づいていても、足を止めることが出来なかった。いい加減蘭もオレに呆れているのかもしれないな…。嫉妬深く女々しく情けない男だと。
更にオレを落ちこませているのは目暮警部の一言だった。パズルを解くような遊び半分の気持ちで現場に来たのかと。そしてそれを否定できない自分がいる。事件と聞くと好奇心が疼く。難問に出会うたびにわくわくしている自分がいる。…オレにとって事件は面白いゲームやおもちゃと同じ。そして。あの日のオレは蘭のことで頭がいっぱいになって事件を投げ出した。なんて情けねー…。
この先ずっとこんなふうだったらたまらない。そりゃ、蘭のことを思うことはやめられないけれど、もっと冷静にならなけりゃ。せめて事件に関わっているときくらい蘭のこと忘れていられる自分でいないと……。
…だけどダメだな。今はそんなふうにはなれそうにない。蘭のことを考えると何も見えなくなる。考えられなくなる。冷静でなんていられない。
しばらく冷却期間を置いた方がいいのか?
考えるべきこと、考えたいことは山ほどあったけれど、それよりも目先に期末試験を控えていた。オレは勉強に集中することに決めた。精一杯何かに打ちこむこと、これが蘭への気持ちでもあった。中途半端な今のオレじゃ情けなすぎる。蘭の隣で胸を張っていられない。というより…、結局オレは格好つけなのかもしれない。カッコいいところを見せたい、蘭に再び振り返って欲しい………理由は不純なんだ。
今回の期末、トップを取る。決めた!!
成績はいつも悪くはなかった。だけど進学校でしかも周囲は二年、いや入学当初からすでに受験態勢で勉強していた輩ばかりだ。しかもオレは二年生のほとんどを小学一年生として過ごし今更足し算引き算の授業を受けていたわけで──ってこれは言い訳になるんだが──、つまり二十位以内に入るのがやっとだった。
だけど、オレはやる!!…蘭のために!! …なんて。やっぱりカッコつけてるよな。ははは。
蘭はというと、受験どころか期末試験のことも忘れてないか?たまに会う蘭は少し痩せたように見えた。あまりに頼りなげに見えたので、ふと学校の休憩時間に声をかけてみた。
「よう、蘭。映画の方はどうだ?なんか無理してねーか?」
蘭は一瞬意外そうな顔をしながらも、ちょっと微笑んで、
「うん、大丈夫。ちょっと寝不足気味だけど、わたし体力あるから」なんて言って強がった。
二人とも先日のホテルでの出来事に触れることが出来ない。ただ穏やかにどうでもいい日常の話をした。授業のはじまるチャイムの音が響き、「じゃ、またな」と手を振る。蘭も「またね」とそれに応える。何事もなかったように挨拶をして。
ただ、少し距離を感じていた。この距離は、少しずつ離れていくのか?肝心なことはなんだ?なぜ、逃げてるんだ?引き寄せたいのに、もっと近づきたいのに。どんどん蘭が遠くへ行ってしまう気がする。
そしてオレはひたすら勉強した。蘭に会えない日も話せない日もずっとずっと──。
無事試験も終わり試験休みに入った。学校へ行く機会がないということは、蘭とすれ違う偶然もないということ。蘭がどんなふうに過ごしているのか気になっていた。
そんなある日。電話が鳴った。
「あ、新一くん?わたしよ!園子」
珍しい奴からの電話だ。オレはすかさず蘭を思っていた。
「よぅ。なんか用か?」
「うーん。蘭のことなんだけど…」
心はざわめいていたが冷静なフリをする。
「蘭がどうした?」
「それがね、なんか大事な話しがあるって言うのよ、新一くんに。その……、伝言頼まれちゃって」
「蘭が伝言?わざわざ園子にか?」
アヤシイ。
「そ、そうよ。ともかく一時に提向津川の公園に来てって」
何度もわかった?と尋ね、絶対行くのよと釘を刺しつつ電話が切れた。大いにアヤシイ。園子、何か企んでるだろ?
一時に提向津川か。今は、っと…十二時過ぎ。そういや、昼飯これからだった。腹減ったな。でも時間もそうないか。しゃーねーな。園子の企みに乗ってやろう。提向津川まで歩いて十分ってところだから、ちょっと早いが家を出た。
のんびり歩いて、途中コーラを買った。公園に着いてベンチに腰掛ける。
キラキラ光る水面。小さな子どもたちが走りまわる姿。笑い声。ふっと幼い頃を思い出していた。この公園にはよく遊びに来てたっけ。…もちろん蘭とだ。
走りまわる子どもたちを眺めていると、そのなかの女の子が不意に転んだ。「あっ」と声に出していた。立ち上がって駆け出しそうになったものの、その女の子の母親らしき人が駆け寄ったので再び座りなおした。更に眺めていると、もう一人同じ年ごろの男の子も同じように駆け寄っていた。そして男の子は女の子を背中におんぶした。よたついている。危ない。大丈夫か?心配でそのシーンに釘付けになった。
その時、同じく釘付けになっている影があった。蘭だ。
「あぶなっかしいわね」
そう言って笑った。
「蘭…」
とても懐かしかった。蘭は以前にも増して綺麗になったと思う。
「新一にもおんぶしてもらったことあったよね」
「そうだっけ?」
はは、覚えてるって。だけど素直に覚えてると言えない。
「やだ、忘れたの?あれって小学校の一年の時だったかな。クラスのみんなに冷やかされて、新一真っ赤になって照れちゃって…」
表向きは穏やかに話していたが、お互い気になることがある。
「ところで、話ってなに?」
蘭が口火を切る。
「あれ?話しがあるからって呼び出したのは蘭の方だろっ」
やっぱり、園子の奴。
「あ、園子ったら…」
蘭は今ごろ気づいたらしい。親友のやさしいお節介に小さく笑って「ま、いっか」と呟く。
「新一…、この前のこと聞かないの?」
いきなり核心に触れてきた蘭。
「この前のこと、か。オレ、平気でいられそうな話?」
蘭は神妙な顔つきになる。
「草場さん…って役者のあの人の部屋にいたこと、誤解してるでしょ」
ただその名前が出ただけで、すでにオレは気分が悪い。
「あの人、A大出身でわたしもそこ受けたくて。たまに勉強見てもらったりしてるけど、それだけよ?」
部屋に二人きりの蘭と奴を思い描いてしまって更にオレは嫌な気持ちになる。
「あ、やっぱり不機嫌になっちゃった」
「だからってあんな時間に男と二人きりになるか?フツー。無防備だって言ってんだよっ」
「草場さんだったら大丈夫だよ。ホントに勉強見てもらってるだけなんだから…」
大丈夫って何を根拠に言ってんだ?蘭はわかってない!!男ってもんを全くわかってない!!
…いらついてるのは空腹のせいか?
「蘭、うちに来ないか?」
「な?なによ、突然」
「昼、まだ食ってねーんだよ。うち来てなんか作ってくれないかと思ってさ」
これは下心だろうか。…そうじゃないと否定するオレがいた。そうだろうと肯定するオレもまたいて、二人がせめぎあっている。
「いいわよ」
蘭はオレの心を知ってか知らずか、容易に承諾する。
家にたどりつき、蘭となかへ入る。せめぎあう二人の自分がいるためか、なぜか後ろめたいものを感じた。
蘭はキッチンに入って手際よくありあわせの野菜やベーコンをごはんと炒め合わせた。あっという間に炒飯の出来上がりだ。
「美味いっ!!」
なんとなくお腹が満たされてくると気持ちも落ちついた。蘭も満足げなオレにホッとしている様子だ。
うん?そういえば、さっきの話って途中じゃなかったか?どんな話してたっけ?…先ほどのやり取りを頭でリプレイ。
『草場さんだったら大丈夫だよ。ホントに勉強見てもらってるだけなんだから…』
これは蘭の台詞。一緒に思い出される事件の日の蘭と奴、二人のツーショット。思い出していくとやっぱりダメだ。嫌な気持ちが心に充満してくる。暢気な蘭に段々腹が立ってくる。
「蘭…、今日仕事は?」
「うん、もうすぐ行かなくちゃ」
また行っちまうのか…。また奴と仕事するんだな。奴と会うんだな?行かせたくないと思うのはオレの我侭。そんなこと言えるわけがない。それ以前にそんな女々しいマネしたくないと思っている。
「新一は?最近探偵業はどうしたの?」
「ちょっと休業中。っていうかスランプかな…」
というか、あれから目暮警部から依頼はなかった。本当のことを言わないオレはつくづく格好つけなんだと思う。
「新一でもスランプなんてあるの?」
蘭はオレの座っている長ソファの隣に腰掛け、まじまじとオレの顔を見た。
「あ!」
くすくすとオレの顔を見て笑いだすから何かと思ったら…。
「お弁当つけちゃって。子どもみた〜い!」
嬉しそうにそう指摘した。言われて、顔についてる弁当とやらを探すが見つからない。
「ほら、ここ」
指でそっとオレの頬についていたご飯粒を取って微笑んでいる。
「食べる?」
その指が目の前に持ってこられ、ドキリとした。………そのままパクリ。微かに蘭の指に触れ胸が高鳴った。
「蘭」
歯止め、きかねーかもしれない。自信ない。
蘭を抱き寄せ、そっとくちづける。
あ、香水。蘭が大人の香りを放っている。
ふと、また奴を思い出している。奴はオレなんかよりよっぽど大人なんだろうな。
嫉妬。復讐。戒め。そんなものがオレの心を支配しはじめる。乱暴に蘭をソファに倒し、責めるように強くくちづけた。そして、その胸に手を。
「嫌…、新一っ、やめてっ!!」
蘭は抗う。逃れようとする。逃れられないように更にその手首をギュッと掴む。
「そんな新一は、ヤダっ!!」
そう言うと抵抗をやめ悲しそうにオレを見た。………そんな目で見るなよ。…わかったよ。そんな悲しい顔するなよ。おめーのそんな顔は見たくない。
「男ってのはこんなもんなんだよっ。わかったか?」
やさしくなれないのはなぜだろう。この期に及んで蘭を責めている。こんなの愛情じゃないな。蘭はきっとそれに気づいていたんだと思う。
何も言わずに蘭は外へ飛び出して行った。なのにあいつの香りだけがここに残りオレの心を揺さぶっている。
夏の海。
波音が遠ざかってゆくような気がして、耳をふさいだ。