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 夏休みに近づき、蘭の仕事はますます忙しくなってきている。学校も休みがちで、登校しても授業中は居眠りなんてこともあるらしい。二人で会う機会もここのところ少なく、電話もできないでいる。何度か携帯に電話してみても電源がオフだったりすることが増えた。メールするほどの用件があるわけでもない。ただ声を聞きたいだけなのに…。
 夏休みの中ほどには映画もクランクアップするということなので、すめば少しは時間ができるだろうと、蘭は割と暢気なことを言っている。すめば、受験が待ってるだろうが!だいたいこんなとき映画なんて出ててホントに受験大丈夫なのか?
 …なんて人の心配してる暇があったら自分の心配しなくちゃな。
 相変わらず、事件の依頼は突然やってくるし、オレの進路の決め方なんていい加減この上ない。出来れば蘭とずっとこのまま一緒に──なんてな。
 ずっと目標は探偵だっただけに、今更進学して何を極めたいかといっても…特になし、か。蘭は、教師って言ってたな。オレは…オレは…?
 やっぱり探偵でいたいし事件に関わって行きたい。それには広く浅くたくさんの知識が必要だ。そして経験。果たしてオレはこのままでいいんだろか?


「明日、ロケなの。って言っても都内なんだけどね。米花センチュリーホテルにお泊りよ。ラッキー!」
 学校帰り、久し振りに二人歩きながら蘭はうれしそうに話した。
「泊りだぁ?…おいおい、大丈夫なのか?」
 そこは大人の世界。しかも芸能界と言うわけのわからないところだ。オレの頭には妙な誘惑にほだされる蘭の姿が浮かんだ。だけど…、なんだかあからさまに心配するのも照れる。こっちが心配するとたいてい蘭はニコニコ上機嫌になった。今ももちろん。「新一ぃ!」なんていつになくテンションの高い声を出して腕を絡ませてきたりして。うわ。人が見てるって。ドギマギしてるオレを見て喜んでやがるな、こいつ。
 蘭の笑顔を見ていると「うちに寄ってく?」と、つい口が滑って蘭を家に誘ってみた。もう少し一緒にいたいと願っている。だけど──。
「ごめーん。今日はダメなの。今晩久し振りにお母さんと食事なの。あ、もちろんお父さんも一緒。この頃、あの二人いい感じなのよね。で、先にお母さんとちょっとショッピングして…」
 蘭は嬉しそうにこれからの予定を話し、俺のがっくりした様子に気づかないようだ。笑顔で話し続けるその仕草を追う。見ていると触れたくなる。触れたその先を考えてしまう。歯止めがきかなくなって、そうしてオレは…。
「どうしたの?新一、顔赤いよ」
 蘭の思わぬ指摘にドキリ。
「え?なんでもねーよ。…そ、そ、そんなヤラシイことなんて考えてないって……う、あ!!」
 あ、墓穴。と思って口を噤んだがもう遅い。
「なーに?なんかヤラシイこと考えてたのね。やだぁ!!」
 ジト目で睨む蘭。
「だから、違うって…」
 もういくら言ってもダメっぽい。
「それより、もうすぐ試験だぜ。そんなんで大丈夫なのか?」
「うん、待ち時間にちょこちょこやってる。勉強教えてもらったりもしてるし」
 ちょっとその時、例の相手役の奴の顔が浮かんだ。エレベーター前ですれ違ったサングラスをかけた奴は大人の雰囲気で。オレなんて、ちょっと蘭に腕を絡ませられただけで頬を染めてしまうガキで。
「新一こそどうなの?進路で色々考えてたでしょ?」
「オレか?そうだな…。自分の心配が先か…」
「新一もがんばって!!」
 蘭は笑顔でエールを送る。あれ?蘭を励ましたかったのは自分の方なのに逆に励まされてる?
「それじゃ、ここで」
 蘭が手を振る。笑顔だけを残して駆けて行った。
「あ、蘭。休みに入ったらいっしょに海に行こうな…」
 うしろ姿に言うけど、その声が蘭に届いたかどうかはわからない。

 そして翌日。夜、リビングの電話が鳴り出した。事件がまたオレを呼んでいる。
「ちょっと来てくれないか?場所は米花センチュリーホテル、直接現場へ来てくれ。詳細はそこで………」
 目暮警部からの電話を切って身支度を整えながら、蘭を思い出していた。米花センチュリーホテル。確か、今日はそこへ泊りだと言ってたな。事件に巻き込まれてなきゃいいんだが。

「目暮警部!」
「おー、工藤君!」
 いつものように事件の詳細を聞き、現場を見る。ホテルの一室での殺人事件らしい。殺されたのは恰幅のいい中年男性。部屋に荒らされた様子はなく、争ったような形跡も見られない。凶器は果物ナイフ、胸に一突き、か。傍らにフルーツの盛り合わせ。ルームサービスで注文したと言う。殺された本人が。密室というわけでもなく。──つまりは顔見知りの犯行で、恐らく突発的なもの。
 ホテルの客室の廊下には、関係者と思われる顔が揃っているようだ。ざっと見まわす。そこへ、
「新一!」
 蘭の声が響いた。心がざわめく。蘭?事件に何か関係あるのか?
 振り返ると、そこに気に食わない奴の姿もあった。蘭の横で、あたかもそこが自分の位置だと主張するようにあいつは立っていた。
「蘭くん!君もこの被害者の知り合いかね?」
 先に目暮警部が蘭に詰め寄って聞いた。
「いえ、わたしは全く。ただ、丁度事件のあった時間に隣の部屋にいたんです。だから…」
 言いにくそうに話す。途中、隣の奴と目配せしたのが気に入らない。
「隣というと1256の部屋だね?その時は一人で?」
 目暮は詰問を続ける。
「いえ、こちらの草場さんといっしょでした。そこ、草場さんの部屋なんです」
 隣の奴と頷きあっている。
 蘭、どういうことだ?部屋にそいつと二人でいた?オレは激しく動揺している。目暮警部は更に状況を二人に聞いているが、オレはもうすでに推理などできなくなっている。犯人よりも今気になるのは蘭のことだ。蘭が男の部屋にいたという事実だ。
 ───。
 ダメだ、ダメだ、ダメだ!!とにかく頭を冷やさなくては。
「目暮警部、ちょっと失礼します」
「お、おい、工藤君?」と目暮警部が呼びとめるが「すぐ戻りますから」とだけ言ってその場を去った。
 蘭の声も聞こえた。オレの名前を呼んでいる。だけど振り返ればいやでも奴の姿が目に入る。振り返りたくない。見たくない。
 オレを追いかけようとした蘭は、けれど目暮警部に「もう少し」と引きとめられ、そこに留まるよりほかなかった。

 エレベーターで一階へ降り、ロビーの椅子に腰掛けた。
 頭を抱え、事件のことだけを考えようと努めた。…でもダメだ。今日ばかりはどうにも使い物にならない、この工藤新一は。

 そこへ、目暮警部やほかの警察関係者がぞろぞろとエレベーターから出口へ向かっているのが見えた。
「警部!」
 目をシロクロさせて近づくと
「おお、工藤君。事件は解決したぞ。キミにわざわざ来てもらうこともなかったようだ。すまなかったな。…が、しかし事件を途中で放り出すなんてキミらしくないじゃないか」
「す、すいません…」
 言葉がなかった。
「こんな単純な事件はキミには退屈だったってことかな?ん?」
 いつになく厳しい表情の目暮警部だった。もっともだ。無責任に事件を放り出してしまった。
「キミにとっては、せいぜいパズルを解くようなものなのかもしれんが、我々にとってはこれが仕事だからね。わたしも、ついキミに甘えすぎておったのかもしれないな」
 苦い言葉を残し警部は背を向けた。
 重い気持ちになっていた。歩く気力もない。呆然と立ち尽している時、蘭が走り寄って来た。
「新一!こんなところにいたの?今、事件片付いたって。犯人は結局、被害者の奥さんだったらしくてね、それで…」
 蘭の声が空回りする。事件のことなんてもうどうでもいい。思いもよらず嫌な自分が突出する。
「あいつと二人で客室にいたって?こんな時間にかよ?どうい
ことだ?オレには…、オレにはそれはちょっと…わからないな」
 蘭の言い訳も聞かずにホテルを飛び出していた。
「新一、待って。だから、あれはね…」
 追いかけてくる蘭に振り返ることもできない。今、振り返ればもっと酷い言葉を蘭に言ってしまいそうだった。
「オメーはオメーでがんばれ。オレには、何にもしてやることなんてないしな」
 それだけ言うのが精一杯。これだって嫌味な言葉に違いない。
「新一!!待ってってば、新一ぃ!!」
 ひょっとしたら蘭は泣いているのかもしれない。それでもやっぱり振り返ることができない。そのままタクシーに飛び乗った。

 なにやってんだ?工藤新一!!格好悪いぞ。
蘭を泣かさないって、信じるって言ったのは嘘だったのか?泣かすなよ、信じろよ。

 夏の海は遠いな。不安を抱えたまま、それでも蘭を思う夜だった。

 

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