初 恋

 ボクは決死の覚悟で蘭さんと約束を取り交わしました。
「提向津川の南公園の河川で待ってます。来て下さい。お願いします」
 受話器越しでもボクの声が震えてるのがわかるはずです。
 蘭さんと出会って6年。ボクは中学1年生になっていました。
 あの頃、──小学校1年生だった──ボクは、二人の人を同時に好きになってしまいました。とても悩みました。一人は同級生の歩美ちゃんです。だけど、歩美ちゃんには好きな人がいました。いえ、言わなくてもわかるんです。そして、もう一人は、そう、蘭さんです。勿論、蘭さんに新一さんという彼がいることは知っていました。当時は蘭さんもそれを否定して「ただの幼なじみよ」なんて笑っていましたが。
 そして。今のボクといえば。
 どうしてだかわかりません。歩美ちゃんとは学校も違って疎遠になったから、なんて理由にもなってませんね。だって、蘭さんとは学校どころか年だってこんなに離れているというのに、それでもまだ、ボクは蘭さんを想い続けていたのです。
 片思いだと言うことくらいわかっていました。だから、敢えて告白などするつもりもなかったのです。黙って見てるだけで、それでよかったんです。
 昨日までは───。

 今日、いつものように博士の家に遊びに行きました。ボクは博士の研究に大変興味がありましたから、もう6年もここに通い続けています。
 そこで、鼻歌混じりで帰宅した志保さんに会いました。志保さんが鼻歌だなんて、明日は雨かと心配になりました。いえ、マジで。
 そして、どうして志保さんが上機嫌なのかを知りました。
 蘭さんがプロポーズされたと言うニュースでした。……ボクは全身が硬直しました。
 蘭さんが結婚してしまう。蘭さんが行ってしまう………。
 そりゃ、最初から新一さんがいることなど知っていました。いずれこんな日が来ることも覚悟していたつもりです。
 それでもショックは隠せませんでした。
 そして。今日、ボクは決心したんです。この想いをせめて蘭さんに伝えようと………。

 大変長い前置きで失礼しました。
 そう言うわけで、ボクは今、提向津川へ向かっています。
 すでにそこに蘭さんが待っててくれました。ベンチに座り、川を見ています。ボクの姿を見つけて、今、手を振ってくれました。
 笑顔がいつにも増して素敵に思えたのは、それはプロポーズのせいなのでしょうか?ボクの胸はズキンと痛みました。
 それでも、ボクは進みます。
 この想いを今……。

「蘭さん、すいませんでした。急に呼び出したりして……」
「いいのよ、光彦君。それで?話ってなんなの?何かの相談かな?」
「いえ、相談ではなくて……あの……」
「うん?」
 首をかしげるその仕草がとても可愛くて、一度でいいからその頬に触れてみたいと思いました。
 ボクは一つ咳払いをしました。そして意を決したのです。
「ボクは……、あの、蘭さんを……その、」
 しどろもどろの自分が情けなくて、ボクは俯いてしまいました。
「何?どうしたの?」
 蘭さんの手がボクの両肩に掛かりました。とても近くに蘭さんがいます。
「蘭さん………結婚されると聞きました。おめでとうございます。しあわせになってくだ……さ…い」
 ボクは今、泣いてしまっているようです。
 どうして涙が流れるのかがわかりません。
「光彦君……」
 蘭さんだって困っています。どうにかしなくては……。
「す…すいませんっ、ボク……」
 言い訳が思いつきません。
「いいのよ、…でも、どうしちゃったの?」
「ボク、蘭さんが好きですっ!!」
 遂に、遂に言ってしまいました。
「ずっと、ずっと前から、出会ったときから好きでした!!」
 真直ぐに蘭さんを見詰めました、すると……
「ありがとう、光彦君」
 そのキラキラとした笑顔、やさしいまなざし…。ボクは、ボクは……。どうしても自分を抑えることなどできませんでした。
 そっと蘭さんの頬に触れました。
「好き……でした」
 ボクは、自分の気持ちだけをもう一度告げたあと、そっとその頬にくちづけをしました。頬とは言え、はじめてのことです。
 そしてまた、零れる涙を堪えながら言いました。
「さよなら、蘭さん」と。
 ボクは蘭さんに背を向けて走り出しました。
 サヨナラ、サヨナラ…。
 呪文のように何度もそう呟いて、ボクははじめての恋に別れを告げたのです。


 

 

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