静かに雨が降る


 部活でくたびれて帰ってきた蘭が、夕食の準備をはじめたのはもう日が暮れてしまったあと。
「あー、しまった!」
 キッチンからの素っ頓狂な声に振り返ると、いい(悪い?)タイミングで目が合ってしまった。
「コナンくぅん」
 悪戯っぽい笑顔でいかにもこれから頼みごとをしますな雰囲気。
「なんでかなぁ…トンカツにしようと思ったのにパン粉が切れちゃってて…」
 はいはいはい。お使いね。
 オレは立ち上がり小銭を手にして家をあとにした。

 キッチンの窓に蘭の影。軽快な包丁さばき、あれはキャベツを刻んでいるんだろう。
 ふっと目の前のすっかり暮れてしまった空を見てため息をつく。
 小学生の格好でオレ、なにやってんだ?
 時折、──我に返る。当たり前になってしまったこんな日常に、和んでる自分に嫌気がさして「こんなことしてる場合じゃないだろ」と自分の頬をぶつ。
 それでも、やっぱりどうしようもなく、今はこれが日常。ため息ついてたって何が変わるわけでもない。やめたやめた…。

 一番近くのスーパーまで歩いて5分ほど。行って帰って10分そこいら。
 鼻歌混じりに夜道を歩いていた。
 と、追う足音が近づいて、それは小走りでオレを追っている?
 ハッとして振り返るとそれは蘭だった。

「どうしたの?蘭ねーちゃん」
 子供らしい声で聞いて、子供の瞳で蘭を見る。
 息が切れているらしい蘭は、息を整えてから笑顔になる。
「──うん。やっぱり一緒に行こうかと思ってね」
 一緒に?
 ふうん。
 一緒にね。
 なんで?
「ホラ、風が気持ちいいじゃない?秋って感じでさ」
 聞いてもいないのに蘭はイイワケをする。
「そういえば、今日は十五夜なんだよね」
 あ、それでか。
 だから一緒に…。ってオレと一緒で、だからなんなんだ?
 十五夜という言葉に思わず月を探してしまう。
 あ、あった…。
 ちょっと曇ってるけど、あるある。今にも雲がかかりそうだけど、そこに月はあった。
「お月さん、まんまるだね…」
 いつにも増して子供口調。どうしてだか、そうでもしないとやりきれない。…これは、この気持ちはなんだろう。
「ねぇ、ちょっと遠回りして行こうか」
 そう言うと蘭はオレの手を掴んで先を歩き出した。向かっているのは近くの公園だ。あそこには池がある。
 だけど、公園に差し掛かった頃、雲が月を覆ってしまった。
「あー、残念」
 そう呟きながらも、まだ蘭の足は公園へ向かう。
「なんか雨が降ってきそうだね」
 雲行きが怪しいのがオレは気になる。

 たどりついた公園の池のほとりに二人で立って。
「また月が現われるといいのにね」と蘭は穏やかに笑った。
 雲の切れ目が月に近づく。
 蘭と二人、その雲の流れを見守っていた。
 いよいよだ。と、蘭の目がきらめく。
 見上げる蘭の顔、その向こうに月。
 だけど、雲の切れ目はほんの少しで、きっと間もなくまた月は消える。
 それが切なくて、オレはもう空を見上げることが出来なくなった。
 月が消えるより早く、鼻先に雨が当たった。
「あ…降ってきた」
 暗いながらも池の水面にぽつぽつと雨が降るのが見えた。だけど、まだ月も隠れていないみたいで、池には月がぼーっと映っていて。
 空は見上げられなかったのに、池の中の月を眺めているなんて。
 蘭は空の月を見て、オレは池の月を見る。
 だけど、池の月は雨に揺れている。歪んで震えて消え入りそうで。
「オレみたいだな…」
 ポツリと呟いたのを蘭に聞かれた。
「え?」
 聞き返すのを誤魔化すのに困った。
「池にオレ、映ってたから…」と言うと、蘭は水面を見るけれど、もうすでに月は隠れて見えなくなっていて、暗くてオレも映ってるわけがない。
 雨は大粒になってきた。慌てて「もう帰ろう」と蘭の手を掴むと、蘭が悲しげに言った。
「消えて…、いなくならないでね」
 オレを見据えて…いる?
 オレは返事も出来ずに、ただ呆然とそんな蘭を見ている。
 不安そうな、その瞳。頬が濡れているのは雨だから?
「大丈夫だよ。ホラ、月はさ、いつでも地球とともにあるんだから」
 咄嗟にオレ、何言ってるんだか。
 蘭もわかったようなわからないような顔で首をかしげているし。
 それでも
「そうだね」
 そう言って笑うのが蘭だ。それが蘭だ。

 二人駆け足で家路を急いだ。
 結局買い物には行けないまま。だけど献立はトンカツだからパン粉のかわりに明日の食パンを削り落とすという手を使って、なんとかその日は切り抜けられた──なんて誰も聞いてないか。


おしまい
 


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