桜の木の下で想うこと


 桜の木の下で空を仰ぐ。雲ひとつない青空。
 ひらりひらりと落ちてくる花びら。
 まだ少し肌寒い風に春色のスプリングコートを翻して。
 髪は今背中の真ん中くらいに伸びて長く、もうカチューシャは手離した。
 ヒールのある靴の踵でコンコンと地面を突く。いい音、と微笑んで。
 そうして、わたしは歩きだす。
 社会人一年生。
 そう、今日から新しい一歩。
 いくつか恋もして、彼氏がいた時期もあったけど、今はまた一人。
 少しだけど大人になったかな?と自分でも思うのに、どうしてだろう、ここに立つとふっと自分があの頃の自分に戻る気がしてハッとする。思わず頭に触れてカチューシャがないことを確認してみたり。
 不思議だと思う。あの頃恋していた彼に桜の頃には会っていない。思い出なんかない。なのに、ここに立つと見えてしまう。あの頃の彼の振り返り様の得意げな笑顔とかわたしを呼ぶ声とか。
 ああ、そうか。似ているのかもしれない。桜の花に。
 ほんの一瞬咲き誇って潔く散っていく。颯爽と現われて不意に消えた彼。
 それでも桜は毎年花をつける。そして散る。そのたびわたしの消えたはずの初恋も舞い戻る。
 でも、もうそんな感傷いい加減にしなきゃと今年のわたしは思っている。いい大人なんだから。
 初恋なんて美しいばかりだもの。思い出なんてどんどん美化されていくんだもの。そんなのに囚われてたら新しい恋なんて見つけられない。…そもそも、いつだって心の隅に彼を置くから今までの恋だって上手くいかなかった。比べてしまうなんてそんなのよくない。
 ほんといい加減にしなくちゃね。

 通り過ぎる桜並木。桜と一緒に通り過ぎる人、人、人。高校生の仲良さそうなカップル。くたびれた中年サラリーマン。自転車を押す主婦。赤ちゃんを抱いた若いお母さん。そして、ふっと風のように颯爽と………。
 あっと思う。
 思って振り返る。
 ……気配だけでわかってしまう。だけど突然のことに心臓が高鳴りすぎて声が出ない。呼び止められなくてただその背中を見送る。
 追いかけたくて、でも出来ない。
 たった今わかってしまった事実に驚きを隠せなかった。ショックだった。今まで気づかなかったことが不思議でならない。…どうして今気づいてしまったのかも不思議だけど。
 新一さんだ。
 …だったんだ。

 その背中は桜の花びらの向こうに消えていった。
「サヨナラ、コナンくん…」
 わたしはそれでも歩いていく。
 駅への道を一人。
 一年に一度だけ初恋を思い出す日があってもいいよね。心でこっそり呟いて、わたしは電車に飛び乗った。
 一年後二年後…ずっとずっと、桜の花が咲く季節のたった一日、きっとわたしは思い出す。初恋だった彼のこと。

おしまい


>>お題