ほ
歩道橋から手を振って
学ランの上着を小脇に抱え、新一が教室を飛び出していく。クラブに出る時よりもイキイキとした顔をして。
わたしはそれを見て「またか」と思う。ここのところ、警視庁に顔を出すのが日課のようになっている。何がそんなに楽しいのか。中学生がそんなところに行って、邪魔にならないんだろうか。
いつだったか新一は言った。
「探偵になりてーんだよな」
わたしの父は探偵だったから、それがどんなものかよく知っていた。仕事なんて選べるわけでもなく、あの新一が崇拝するシャーロック・ホームズみたいな活躍できるほどの事件が舞い込むでもなし。人探しペット探し浮気調査が関の山なのだ。そんなものに、新一はなりたいわけじゃないよね?
ただ探偵になるだけなら簡単かもしれない。難しいのは名探偵と呼ばれることだとわたしは思う。
──でも、ひょっとして新一なら。そう思わなくもないけど。それはちょっと夢見がちかな。
ずっと幼なじみで同級生でご近所で、隣にいるのが当たり前になっていた。憎まれ口叩きあって、裏も表もなく付き合ってきた。
バレンタインが近づいて、ある日クラスメートに詰め寄られた。
「ねぇねぇ。蘭って、工藤くんと付き合ってるの?」
…って。え? ナニソレ。
わたしはその時はじめて、その後何度となく口が酸っぱくなるほど連呼することになる「幼なじみ」を説明した。
それよりも、わたしと新一がそんなふうに見えるのがなんだか不思議。ピンと来なくて変な感じだった。全く意識していなかったということなのかな。
それをきっかけに、ちょっとだけ新一のことを考えてみた。
そういえばもうすぐバレンタインだけど、毎年、深い意味など込めずにあげてたチョコレート。…今年はどうしたものだろう。クラスメートから聞かれたことで、多少なりとも考えてしまう。受け取る新一の気持ちの方を。
困ったなぁ。でも、突然今年はなしにしてしまうのも、それはそれで変かもしれないし。どうせ義理なんだし…と考えて、義理?と自問自答。なんか、それともちょっと違う気がするけど。
米花町のショッピングモールで、ついつい可愛いチョコレートを見つけて買ってしまっていた。…だからって自分用にすればいいわけで。何も新一に渡すこともないわけで。
バレンタインのその日。例年、朝一で渡すそれを、どういうわけか出しそびれた。心のどこかで「ま、いっか」とか思っている。一日なんて長いんだし。
その「ま、いっか」はついに授業が終わるまで続いて、ついに新一は「じゃ、お先!」なんて勢いよく教室を出て行った。
そしてわたしは思ったのだ。「またか」と。
……いけない。チョコ渡してない。と気づいたのは数秒後。
だけど、もう、「ま、いっか」な気分ではなかった。もう渡せないかもと思ったら、それがとてもさびしい気がして。
思わず走り出して新一のあとを追う。もう間に合わないかなぁ…。
駅への交差点で新一の背中を見つけアッと思う。よし、間に合った。と胸を撫で下ろした途端、信号が変わった。新一はすでに大通りの向こう側。車が左右から走り出してその背中を隠した。
その信号が長いことはよく知っていた。だから右手方向を見た。そこにある歩道橋を。これなら、まだ…。
勢いよく階段を昇り走って走って新一の後ろ姿を歩道橋の上から探した。
「いたっ!!」
思わず叫んでいた。
「新一ぃぃぃぃぃぃ!!」
手を振った。
こっちを向いて。気づいて。そしてもう一度名前を呼んで手を振って。こっちを向いて。気づいて──と。
そうして、新一は振り返った。
「え?」という顔をして歩道橋の上のわたしを見た。
腕力なら自信があった。よーしとチョコの箱を取り出して、わたしは新一に向けそれを投げた。
コントロールはイマイチだったものの、新一は運動神経がいい。上手くそれをキャッチして笑顔を見せた。
「サンキュ」
声までは届かないけど、口元がそう言っている。
わたしはもう追いかける理由がなかったのでそこから手を振って……。新一の背中を追いかけずに逃げるように引き返してきてしまった。息が荒い。心臓がドキドキいってる。
そうまでしてチョコレートを渡した自分に今更赤面している。
なんで? どうして?
新一はなんて思った? 変な奴だと思った?
もう走ってなんていないのに、心拍数はどんどん上がっていくのがわかる。
「あーん、もう!! バレンタインなんてどうだっていいのよっ!!」
自分に向かって叫んでいた。
家に向かいながら、時々ボーっとして、はたと気づくと晩ご飯の買い物を忘れていたりなんかする。
どうしちゃったのかな、わたし。
恋という感情をまだ知らなかったわたしの、それは中学一年の頃の話。思い出しても顔が沸騰するのはどうしてだろう。おしまい
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