キミの瞳の中のボク

 学校帰り、いつものように新一と肩を並べて町を歩いた。今日は少し足を延ばして品揃えのいい大きな本屋へ行こうと駅へ向かっていた。
 途中。新一が固まった。
「…どしたの?」
 振り返ると茫然自失といった様子。
「新一ってば、ねぇ…」
 手を引いても動いてくれない。その視線の先を追って、わたしもまた茫然自失となった。…いや、だけどわたしの場合は、それは当然知っていたことで。すでに目にし手にし見慣れたはずのものだったのに。
「や、ヤダ。行こう。ねっ、新一」
 腕を無理やり引っ張って新一の視線がそこから動くように仕向けてみるがダメだった。
「『瞳の中の摩天楼』?…なんだこの暑苦しいネーミングは!!」
 新一は動揺しているのか、少し的外れなことを指摘する。
「もう!!いいから行こ」
 再度腕を引っ張ると、今度は簡単に歩きだした。
「…試写会、今週末だったよな?」
「いいよ、来なくても」
「なんでだよっ。なんか見られちゃマズイことでもあんのか?」
「え…?マズイことなんて別に…ないと…思うけど…」
「けど、なんだ?」
「やっぱり新一、不機嫌になりそうなんだもん」
「…なぁにが『これが最後の恋』だぁ!?」
「あ、怒ってる」
「別に怒ってねーよっ。ただ…」
「何よっ」
「ただちょっと…」
「何よ、はっきり言いなさいよねっ」
「アレだよ」
「アレって?」
「アレって言ったらアレだ!!」
「もう。変なのぉ!!」
「あのポスターの…蘭と奴の距離って…」
 蘭に近づいてポスターの構図のように視線を合わせた。
「このくらいだよな?」
「…そうね」
「で、見つめあったわけだ」
「…う…ん」
「ほぅ…」
「ほぅって何よ」
「見つめあったんだな?」
「………もしかして新一、妬いてるの?」
「妬いてるだぁ?オレがか?」
「だって…」
「バーロー。オレはな………」と言いかけて「なんだ?」と自問する。
 オレを見る蘭の目が笑顔を作りそうなのが少し悔しい。だけど。
 オレの脳のどこかの線がプチッと軽く切れた。すごくそれは簡単で。切れることはそれはそれで快感だったりもする。
「オレはな、蘭。よく聞けよっ!!オレは今めちゃくちゃ悔しいんだっ。すげー機嫌悪いぞ?…だいたいなんなんだ、こいつはよぅ!!映画っていってもな、蘭、こんな目でこんな奴見るなよっ。こんな潤んだ目で見つめるなんて反則だぞ?こんなのもっと手ぇ抜きゃいいんだっ。それをこんなとこに堂々と飾りやがって、気にいらねー!!」
 マシンガンのように悔しさが口をついて出てきた。
「オレは覚えてんだよっ。映画の台本。あのラブシーン、本気でやったのか?…いや本気ってのは困るな。本当にやったのか?…ああ、まぁやったんだろう。奴はそりゃいい気分だったろうな、ったく悔しいぜっ!!」
 ひとしきり興奮が冷めたあとで、「なぁ、蘭」と神妙に言った。
「本屋やめ」
「…え?やめって…」
「うちへ連れて帰る」
「はぁ?」
「オメーをうちに連れて帰るって言ってんだよっ」
 たちまち手を掴んで歩き出す。オレの早足に蘭は時々小走りになりながらついてきた。
 歩きながら、少しずつ冷静さを取り戻していったオレは、蘭を小走りにさせるなんて、全く隣にいる蘭を見ていない自分を省みて情けなくなった。
「……ごめん」
 素直に謝る。そこはスクランブル交差点の真ん中。
 立ち止まったオレに、蘭はやさしく微笑んだ。そして何も言わずにオレの首に両手を回した。それだけでも十分大胆なのに、更に長い長いくちづけを──オレは夢でも見てるんじゃないかと思ったくらいだ──オレの唇に…。
 くどいが、そこはスクランブル交差点の真ん中。オレたちはといえばともに制服姿。人は大勢流れていて──。
 唇を離して蘭が言った。
「それで?どっちに行くの?本屋?それとも新一の家?」
 悪戯っぽい目をした天使。チャーミングでくるくると表情が変わる。そんな蘭を見つめた。
「そりゃ、もちろん───」
 二人で再び歩きはじめた。映画のポスターを背に。
 オレは蘭に気づかれないように一度だけそれに振り返った。
「ホンモノはいつだってオレのもんだからなっ」──心の中でそう呟き、勢いで蘭の肩を抱いた。すべてを察している蘭が隣で笑いを噛み殺していることなど気づきもしないで……。
 fin
 


 

星の指輪

 海からの風はまだ冷たかった。
「やっぱりこれで歩くのはちょっと……、」
「もうここまで来たんだぜ?今更引き返せっかよっ。…それに」
「それに?何?」
「…いや、いいんだけど」
「何よっ、……変なの」
「いいから、ホラ、手ぇ離すんじゃねーぞ?」
「うん」

 思い出の岩場を目指して、この道を二人で歩いていた。手をつないで。
 蘭のその格好は、確かにこの場に場違い以外の何ものでもない。──白いウエディングドレスはシンプルなマーメードライン。シルクの光沢が眩い。それに合わせてヒールのある靴を履いて。髪はアップにまとめあげられティアラが飾られている。ベールを外してきたのは正解だったなと苦笑する。
 車で蘭は言った。このドレスはお母さんの手製なのよ、と。この日のために忙しい日々の合間を縫って完成させてくれたから、それはお母さんのわたしの幸せを願う気持ちでもあるから、だからね…──蘭は何を思って涙を見せたのだろう。
 そんなことを聞いたから、だから余計にオレはこのままの蘭をそこへ連れて行きたいと思ったんだ。単純に最高に綺麗な蘭をそのままにしておきたかったという理由ももちろんあったけど。

「キャッ」
 また足を滑らせ転びそうになる蘭をオレが支える。蘭はドレスの裾をたくし上げながら歩くことで精一杯だった。だけど途中、
「ヒールはもうダメ。降参!!」
 ついにそのヒールを投げ出してしまった。そして裸足の花嫁となった。

 思い出の岩場は遠く、空が赤く染まるのを途中の岩場で二人見ていた。
「暗くなっちゃうよ?」
「…だな」
「帰り…どうするのよっ」
「…今日は幸い満月みてーだから」と笑って、オレは更に蘭の手を取って前へ進んだ。
 やがて日が暮れる。最後の岩場が目の前に現われた。
「ここだな」
 蘭は神妙にただ頷いた。
「よしっ」とオレは気合を入れ、蘭を引き寄せた。その足をそっとすくって抱き上げる。シルクの肌触りが、あらためてそれが花嫁だと言うことを思い出させた。
 抱き上げてから、あっと思い出す。
「目を閉じてろ?」
 日は暮れても、海の向こう側に見えなくなった太陽が、まだ静かに波を照らし水平線をかたちどっていた。
 抱き上げたまま、最後の岩場に降り立ったオレは、海は見ずに蘭を見ていた。そして蘭の横顔越しに海を見た。
「蘭、ここで結婚しようか?」
 その言葉に蘭がパッと目を見開いた。そして「…バカ」とこぼす。
「なんでバカなんだよっ」
 もうそれに答えられないくらいに蘭の瞳に涙が溢れた。
「コラ、返事は?はいって言えよな?」
 決してノーなんて言わせない。
 なのに「日が沈んじゃったよね」と話を逸らす蘭が憎らしい。
「日が沈んだら星が瞬きはじめて、再び必ず──日はまた昇るんだよっ」
「…そんなの当たり前じゃない」
「そんな当たり前のこと、なかなか気づけないのが人間って奴なんだな」
「そうお?」
「あの日は夕陽が指輪代わりだったけど…」
「今度は、じゃああれ?」
 空を指さした蘭。ご名答。
「そ。この星全部がオレからのプレゼント。星の指輪さ」
「…相変わらず気障」
 笑う蘭は、オレの腕の中。
「降ってきそうだよね。星」
「そうだな」
「流れないかな…」
「そう上手くはいかねーだろ?」
「…そうだよね、でも」つい二人で探してしまう。いつだったか見たあの流れ星を。
「結婚しよう、ね、新一」
 見上げながら、ふと蘭がそう口にした。
「…オメー、一体何を、」
 オレは心の準備がなかったから言葉が続かなかった。闇に紛れて不意にこぼれてしまった涙が蘭に見つからなかったかと焦る。
「コラ、返事は?はいって言ってよね?」
 蘭はそう言って笑った。
「バーロー、答えは決まってんだろ?」 
 オレは答えの代わりにそっとその唇にくちづけた。
 唇を離すと、今度は蘭がオレの唇を追ってきた。蘭からのくちづけ──その意味はYES。
「もう、ずっと一緒だな?」
「うん、離れないよ」
「ずっとそばに…」
「ずっとずーっとね」
「蘭、愛してる」

 月が二人を照らしている。星が見ていた。瞬きはウインクに似ている。波が祝福の拍手を。
 これがオレたちの結婚式だ。
 星が今、一つ流れた。