蝉 時 雨 


「蘭、じっとしてろよ?」
新一が真顔で近づいてきた。わたしは胸が高鳴った。
 つ、遂にこの時が来たのね、これはきっとはじめてのキ……。
 目を閉じようとしたその瞬間。
 パシッ!!
「いったぁ〜い!!」
 そう、わたしは新一に頬をぶたれていたのだ!!
 だけど、ど、どうしてぇ?
 新一は得意顔で手のひらを開いて見せた。
「ホラ、蚊だよ、蚊!!」
「へ?」
 もう………がっくり。わたしってば何を期待してたんだか。ああ情けない。
「あ、こんなに血を吸われてるよ…」
 蚊を観察する新一。はたとわたしの顔を見て、笑う。
「そこ、痒くない?」
「え?」
 と頬に触れると、蚊に刺された痕が。ああ、もう、やだぁ!!
「そういうの見るとつい。こうしたくならねー?」
 おもむろに新一はわたしの頬に爪を立てた。頬にバッテン。
 ムードのカケラもないったら…。
「新一のバカ!!」
 小さく呟いてソッポを向いた。
「あれ?何怒ってんだよっ!!」
 全然女心がわかってないのよね、新一は。
「ツンツンしてたら可愛くねーぞ?」
「いいもん。どうせわたし可愛くなんてないもんねっ」
「別に、んなこと言ってねーだろ?」
「言ってる!!」
「言ってねー!!」
「言ってる!!」
「言ってねー!!」
「言ってる!!」
「言ってねーって…。笑ってる蘭はすげー、可愛いよ……いや、この際怒ってても泣いてても、なんでも…えーっと…だから、」
 最後辺り、声が小さくて聞き取れなかったけど……?
 わたしはそうっと振り返った。
 ふわりと頬に手が掛かって、真直ぐにわたしを見つめる新一の瞳。
 蝉時雨が二人の時間を、今、止めた。
Fin