某リレー小説で書かせてもらったものから単品でも読めるものをセレクトしました。
英理さん編
「さて、と。もうそろそろかしら?」
英理は時計を見上げ、読みかけの本を静かに置いた。
蘭が友達を連れてくるらしい。なんでもチョコ作りのためにキッチンを貸してほしいとのこと。
………なるほどね、バレンタインだもの。わたしはふと懐かしい胸のときめきを思い出していた。あんな風にドキドキしたりわくわくしたり一生懸命だったり……わたしにだってそんな頃があったっけ。
はじめて手作りチョコを作ったのは、高校生の頃だったかしら。あのひと、ああ見えて硬派だったから(今とは全く正反対よね…)意外と人気があって、毎年チョコには苦労してないようだったのが気に入らなくて、わたしは意地張って毎年知らん顔してた。その年もあげるつもりなんてさらさらなかったはずなのに……。
うん?なんで気が変わったのかしら?
あ、そっか。売り言葉に買い言葉。あれは喧嘩からはじまったんだ。
「おめぇ、また今年もチョコの一つもあげねーのかぁ?」
珍しくそんなことを聞いてくるから。
「あら、なに?それはわたしにチョコを下さいって言ってるわけ?」
食って掛かるのはいつものこと。
「だ〜れがおめぇに催促なんてするかよっ。けっ。……だいたい、不器用なおめぇにゃ手作りチョコなんて100万年かかっても作れないだろうけどな」
「なんですって?もう一度言ってみなさいよっ!!」
「不器用なおめぇにゃ手作りチョコなんて100万年かかっても作れないけどなっだよーっ!!」
「もうーーっ!!同じこと二度も言うんじゃないわよっ!!」
「おめぇが言えって言ったんだろうがっ。何度でも言ってやろうか?手作りチョコなんて100万年かかっても……」
「作ってやろうじゃないのっ!!ええ、作ってみせますとも!!」
……って何を熱くなってたんだか、わたし。
そして、バレンタイン当日。やっぱり100万年早かったわたしのチョコ作りは玉砕した。あいつの思う壺。朝からあいつに会うのを避けて、放課後だって逃げるように下校した。そんなわたしを追いかけて来たから。
「あなたにあげるチョコなんてないわよ?」
振り返り様にそう言った。
「……だから。別にチョコの催促してんじゃねーって言ってんだろ?」
「じゃあ、なに?」
「いや、別に」
ただ隣を歩くあのひとの存在にホッとしたのはなぜなんだろう…?
あれ?そう言えば、今日はバレンタインなのに、包みの一つも持ってないじゃない?例年なら山と抱えて帰ってるはずなのに。
「今日は……全然もらってないの?」
「…チョコ?」
「そう」
「うん」
「へぇ……もらえなかったんだ」
「いや、別にもらえなかったわけじゃなくて」
「ん?」
「…まぁ、いいじゃねーか」
もらえなかったわけじゃなくて?…それじゃ、もらわなかったってこと?…なんで?
もしかして。
…まさかね。そんなことあるわけないじゃない。だけど…。
「わたしね、やっぱり100万年早かったみたいなのよ。……見事玉砕」
チョコ作りの失敗談を話して聞かせた。
「……で?全部捨てちまったのか?」
「ううん、あるにはあるけど…だけど」
「だけど、なんだ?」
「バラバラ」
砕けちゃったハートのチョコなんて、それこそ誰にも渡せない。それなりに美味しいとは思うんだけど、やっぱりプレゼントには不向き。
「もったいないから俺が食ってやるよ」
「え?」
じっとその顔を見た。
「だって、バラバラよ?」
「いいよっ、形なんて。気にしねぇ」
「バラバラのハートなんて縁起悪いわよ?」
「バラバラだって………ハートのかけらだろ?」
………。
一瞬息を呑んだ。ハートのかけら。…それはわたしのハートのかけら。そういう意味だって取っていいのかしら?言葉を失ってその顔を見た。
ちょっと照れたようにうつむくその仕草。…ちょっとぉ、らしくないじゃないの!!
「そんなに言うなら食べてよね。………残らず全部」
……お互い意地ばっかり張って、バレンタインですらこんな思い出。ちょっと苦くてちょっと甘くて。でも、それは思い出。
あの時のハートの型、まだどこかにあったはずよね。……まだ100万年早いかしら?試してみるのもいいかもね。……少女の頃に戻ったみたいに。
思い出を手探りしているうち、インターホンが鳴る。
女の子達のはしゃいだ声が耳に入ってくる。キッチンの棚の奥から取り出したばかりのハートの型を手に、今、わたしは扉を開けた。
和葉ちゃん編新幹線から、送りに来てくれたみんなに手を振った。
あたしは、いわゆる「アイノカケラ」の包みを手に一人大阪へ帰る。
座席に座って、あれこれバレンタイン当日のことをシュミレートしてみるものの、どれもあたしには言えそうにない言葉だったりした。
どうしよ…そんなんよう言わんて。そんな勇気ないて。
…だって。
今まで通りの幼なじみの関係がそこでなくなるってことやん?…もしかしたら、何もかもが崩れるかもしれへんやん?
そう。あたしは怖がってる。わかってる。怖いから逃げてるって。
けど……どうしたらいいん?
ふと、蘭ちゃんの笑顔が目に浮かぶ。
「大丈夫だよっ」
そう言ってくれた蘭ちゃん。
あたしのこういう気持ち全部わかってくれてて、すでにそれを乗り越えたから。だからこそ、蘭ちゃんの「大丈夫」にはすごい説得力があった。
ほんまにそう思う?大丈夫かなぁ?
いくつかのシュミレートは、夢の世界へいざなってくれる。すでにすべてを告白しチョコレートもそのカードも手渡した気分に浸りつつ、あたしは深い眠りについていた。
──そして。バレンタイン当日。
昨夜は緊張して遂に眠れず。
どんな顔で平次に会えばいいのか、なんだか顔に「平次が好き」とでも書いてあるみたいな気がするくらい、顔を合わせるのさえ恥ずかしかった。
…あかん、あかん!!こんなんあたしとちゃう!!
いつもの調子でいい。いつもみたいに「おはよう」って言えばいい。
うん。…と、一つ深呼吸して、家を出た。
平次の家に直行やっ!!
と、門の外を見て愕然。
「へ、平次?なに?どうしたん?」
そこに平次が立っていた。つい例の包みを後ろ手に隠す。
「なに鳩が豆鉄砲みたいな顔してんねん。一緒に学校行こ思て待ってただけやろ?ホラ、行くぞ?」
「う、うん…。けど、めずらしいやん」
「そうか?」
二人歩き出して、なんとなくなんとなーーーくだけど、わたしと一緒にいたい理由がわかった気がした。
「なぁ、平次。あたしって魔除けなん?」
「魔除けってなんやねんっ」
「けど、ホラ」
ちょっとためらいつつ言葉を繋げる。「今日バレンタインやん?」そう言って平次の表情を盗み見た。
「あたしが朝の登校ン時から一緒やったら、渡そう思てた子が渡すに渡されへんやん?」
「そやから?」
「…あ、そやから……えっと、そういうのって面倒なんかなぁって」
「まぁな。俺、そういうのってあんま好きやないし…。なんで、バレンタインやないと自分の気持ち言われへんねや?とか思うしな。好きやったら、…もし好きな奴がいてるんやったら、毎日がバレンタインでええやん?」
「そ…そやな」
…平次のバレンタインの考え方、確かにその通りって思う。けど、振り絞ろうと思ってた勇気、あたしの勇気が、なんかどっかに飛んで行った気がした。
それに、これって深読みすると、「平次は好きな子がいてへん」ってこと?少なくとも、あたしは平次に告白されたことないから……そっか、そうなんか。…勝手に納得して勝手に気持ちが萎えていく。
後ろ手に持ったままの包み……どうしたらいい?
「なんや?変な顔して」
平次が怪訝そうにあたしを窺う。
「変な顔は生まれつきやっ!!」
そっぽを向いて前を歩き出す。…けど、なんやろ。悲しくなってきた。ちょ、ちょっと待って。もう校門目の前やのに、涙出てきた。
「おいっ」
平次が後を追ってくる。
「和葉!!」
名前を呼ばれて、ようやくあたしは立ち止まった。でも、泣いてる顔なんて見られたくないし、振り返れない。
「なぁ、お前、それ何?」
「へ?」
はっ!!後ろ手に包みを持って、前を歩けば気づかれて当然だ!!指をさされて、あたしは平次に向き直ってじたばたとした。
「こ、これは……そやからぁ…、えーっと…あれや、あれ!!」
「あれってなんやねんっ」
「そやから…」
言葉がどうしても出てこない。あんなにシュミレートした言葉たち…もう頭が真っ白。ううん、それより、どうしたらいいんかわからへんのはこの涙や。
「ちょ、ちょー待て、和葉!!」
平次もあたしの涙に気づいたみたいだ。変な奴って思ってるに違いない。
気まずい。すごく気まずくて逃げ出したくなるけど、逆に動けない。
ここは校門前。登校の時間だから通りすぎる生徒の数も相当。視線を感じ、居心地の悪いだろう平次を思うと、更に申し訳なくなって。
「ごめん……。変やな?あたし。なんか変」
更に涙が止まらなくて。
「行こ。こっちやっ」
いきなり平次が手首を掴んで、あたしを引っ張るようにして歩きはじめた。あたしは小走りでついていく。
「…平次、どこ行くん?」
平次は何も言わずに手を引っ張る。怒ってるんやろか?それとも呆れてる?
引っ張られて着いたのは体育館。そして、その二階に登り、更にそこから窓を抜け出してバルコニーに出た。
いきなり風通しのいいバルコニーに出て、北風に震えた。そのバルコニーは裏の池に面していて、学校の校舎からは死角になっている。
「うわっ、何?ここ。こんなとこあったんや?」
あたしはその隠れ家のような秘密の場所にわくわくしながら、平次を見た。
「ええ場所やろ?…けど、冬はちょー寒いな?」
そう言うと、大きなくしゃみを一つした。へーくしょいっ!!と。
「昼寝には格好の場所やで?…冬やなかったらな」と付け加え笑った。
「はは、そやな……。って!!あんた、そうやって時々ここでさぼって昼寝してたんか?」
「いつもいつも事件でいてへん思たら大間違い!!」
「うわっ、ずるっ!!自分だけ!!」
「考え事するにも丁度ええ。妙にここ落ち着くんやで?」
…妙にここ落ち着く…。あ、そうか、あたしが泣いてるから、だから連れてきてくれたん?
「落ち着くやろ?」
「う…うん」
風は冷たすぎるけど、太陽は眩しく暖かい。
バレンタインだからとかそうじゃないとか、そういうことじゃなくて。そんなことはもうどうでもよくて。……そうだ、伝えないと。あたしはただ伝えたいんだ、この気持ちを。大事なことはチョコレートじゃなくて、そこに込めた「想い」なんだと気づいた。
チョコレートの包みを、今、あたしはしっかりとその手に持って、平次を見つめた。
あたしが「平次」と呼んだのと同時に、平次が「和葉」と呼んだ。
「何?」
あたしは、伝えたい言葉を呑み込んでしまう。
「俺、さっき言うたよな?バレンタインやなくても…って。毎日がバレンタインでもええやんって。」
「…うん…?」
「でもな、百歩譲って。バレンタインにちょっと勇気もらって告白する子とか見てると、なんや健気で、それはそれでその子にとって意味があるって思う」
「…うん」
平次、何が言いたいん?
その続きを待って平次を見たら、続きの言葉をためらっているふうで。
「それで?それで何なん?」
「──例えば」
「ん?」
「──今」
「今?」
「俺が」
「うん」
「ここで」
「うん」
「ここで」
「…ん?ここで、どうしたん?」
「ここで……」
「平次、なんや壊れたおもちゃみたいやん」
くすっと笑ったら、ポカンと頭を小突かれた。
「いたっ。痛いやん、もう!!」
「ちゃんと聞いとけ言うてんねん」
「…もう、聞いてるやん」
平次は話をすり換えるように一つ咳払いをした。先ほど詰まった台詞は打ち切って、今度は流暢に話し始めた。
「バレンタインに、男から女へ告白するんもありちゃうかって思うねん」
「……え?」
「そのチョコレートには悪いけど」
「えっ!!チョコレートって…なんで!?」
「俺、こう見えても探偵やから」
そう言われて、あたしは頬が熱くなる。…それって、あたしの気持ちもお見通しってこと?
…え?でも、ちょっと待って。この台詞のこの意味って。…これってひょっとして……?
「悪いけど。和葉が言う前に俺が言う。…俺はお前が好きや!!ってな」
あたしの時間が止まった。
平次のその言葉が何度も何度も耳に響く。響いて止まらない。
それはほんの数秒だったのか、数分だったのか…。
「好きって言うた?」
呆然と問い返すしか出来ないあたしは、平次を笑わせた。
「あ、でも。あたし……。これ…これ、やっぱりちゃんと受け取ってもらいたい…」
押し付けるように、包みを平次の手に手渡した。
「…カード、入ってるんやけど。あのな、あたし、ホラ、ちゃんと言われへんと思たから。そやから…その、…でも恥ずかしいし、家に帰ってから見てな?」
そう言ったのに。言ったのに!!
平次はおもむろに目の前で包みを開け始める。
「きゃぁぁぁぁ、ここで開けんといてって!!」
すでに遅く。カードもチョコレートもバッチリ平次に届いてしまった。
チョコレートに書いた文字にとりあえず大笑いする平次。…これは、多分こう来るとは想像していた通りで。と言うのも。
「お前なぁ、フツー、こういうとこにはLOVEとかなんとか書かへんかぁ?何や『本命』って!!」
「あ、受けた?やったっ」
ついこういうところで嬉しくなるのが大阪人の悲しいサガ。
「まさか、カードもこういう路線か?」
「あっ、それはあかんっ!!」
「なんでやっ、俺にくれたんやろ?」
「そやけど…」
……二人、もみあっているうち、不意に突風が来た。風にカードがさらわれる。
「あっ……」
飛んで行った…あたしの『想い』。せっかく書いたのに。せっかく…。
「ごめん…」
平次もすまなそうに頭を掻いて。
「ううん、ええって」
「けど……あれなんて書いてたんや?」
「うん……」
そうか、自分の口でちゃんと言えってことなんかな。
すでに池に浮かんだあたしのカード。言わずに逃げるつもりのあたしを見抜いてたんかな…。
「あたしは平次のことが好きや。でも、もしも平次があたしのことただのお姉さん役とか幼なじみとしてしか見てへんねやったら、そうやったら…、ううん、そうやとしても、ずっとそばにいたいと思ってる。…あたしはそう思ってる。ただそれを伝えたかった。自分の気持ちをちゃんと………って、そんなようなことを書いてある」
…あたし、スゴイかも。こんなふうに言えたこと、自分で自分を褒めてあげたい。そしたら、ふっと肩の力が抜けた。
あ。…いつもみたいに笑える。
「和葉…サンキュ」
平次はあたしの頭をくしゃくしゃと撫でた。
そして、持ってた「本命チョコ」をバリッと一口。
「美味いなぁ…最高や、これ。お前も食べてみ…」
「けど、これ平次にあげたあたしの気持ちやから、全部食べて…」
「アホ。俺の気持ちも本命やから、ほい、半分こ!!」
「…そっかぁ、なるほどなぁ」
妙に納得して、自分の作ったチョコレートを一口。
ただひたすら甘い甘いチョコレート。そっか、わたしの気持ちがカタチになってるんやなぁ。
ふと空を見上げる。
…どうしてるかなぁ、みんな。どんなバレンタイン過ごしてるんやろ?ちゃんと渡せてる?…きっときっとみんながしあわせなバレンタインでありますように……。
園子編「はい…」
名乗るのも忘れ、声は上ずっている。いつものわたしじゃなかった。握り締めた受話器にわずかに汗が滲んでさえいた。
「あ…園子さんですか?」
その声を聞いて返事も出来ないまま涙が頬を伝った。
「もしもし?もしもし?…あの、遅くにすいません」
心と裏腹にわたしは思わず「バカ…」と呟き、受話器の向こうの真さんは再び「すいません」と謝って。そんなやり取りが可笑しくて、泣きながら笑ってしまう。
「今、そっちは何時?」
日本はバレンタインデーもあと五分。
「あ、ここですか?十二時五分前です…」
「え?それって昼の?」
「いえ、夜。今、二月十四日二十三時五十五分…ですね。ははは」
「?」
──絶句。それって、まさか。
「真さん、今どこ?」
「ここは園子さんのお宅の大きな門の前ですが…」
「えっ!?」
部屋の窓から門を見下ろした。暗くてよくわからないけど人影が見える。わたしは電話も途中に部屋を飛び出した。
嘘…。帰ってきたの?
嬉しいけど照れくさいような複雑な気分でわたしは走った。
門の向こう側で手を振る真さんの姿を見て、ふと丁度一年前やっぱり突然帰ってきた彼を思い出す。あの時も突然だった。またこんな突然……。
「真さんっ!!」
急いで門を開けて、その懐かしい胸に飛び込んだ。
「園子さん?…そんな格好で…風邪でも引いたらどうするんです?」
言われてはじめてパジャマ姿の自分に気づいた。何か羽織るとか考えつかないほど動揺していたんだと苦笑する。
「あ…それより時間…。バレンタインが終わっちゃう…」
この期に及んでバレンタインを気にしたってしょうがないのに。だってチョコレートはきっと真さんと入れ違いよね?
すると真さんは腕時計をそっとわたしに見えるように差し出した。
「わたしの腕時計はまだ十四日の朝の十時過ぎですよ」
そう言って微笑む。それが真さんのやさしさなんだよね。
ここ日本でのバレンタインが過ぎちゃったことは残念だけど、そんなの気にすることなかったんだよね、最初から。好きな人がいるなら、毎日がバレンタインでもいいんだよね。
…でも肝心のチョコレートがないのはちょっぴり痛い。
「チョコ…送っちゃったから何にもあげるものがないんだけど」
それでも、この気持ちをちゃんと伝えられたらそれでいいよね?
「…あの、園子さん?それ何ですか?」
わたしの右手に握り締めたままのリボンを指さした。そのまま持ってきちゃったみたい。
「あ、これね、チョコを包んだリボンの余り……」
「ふうん」
真さんは少し思案して、ニヤリと笑った。
「貸して」とリボンを取られ、一緒に左手をひったくられた。
「え?何?」
目を白黒させていると、その薬指にくるっとそのリボンを巻きつけキュッと蝶々結び。
「ホラ、出来上がり。プレゼントにもらってもいいですか?」
え…?え…?
…これって、そういう意味なの?
わたしは言葉が出なくて、ただ頷いた。
「やった」
真さんは、らしくなく全く照れもせずわたしを抱きしめた。わたしの方が固まって動けもしない。…でもすごく幸せだ。もしかしたら、今世界中で一番幸せなのはわたしかもしれない。
「実はね、これ」
しばらくして、真さんは鞄から見覚えのある箱を取り出した。紛れもなくそれはわたしが送ったバレンタインのチョコレートだ。
「あー、それ!!どうして?」
「昨日着いたんですよ、これ」
「早めに着いてたんだぁ!!」
「そうみたいです。だから逢いたくなりました」
「…って、真さんこれ見たから逢いにきてくれたの?」
たちまち顔が熱くなった。そのカードに書いたメッセージをはたと思い出したからだ。
「来ないわけにはいきませんでした。なんとかギリギリ間に合いましたよね?」
声にならない言葉を発しながら、わたしはパクパクと口を動かした。
「そんなわけでよろしくお願いします」
ペコリと頭を下げる真さんは、まるでこれから一試合はじめるかのように身構えた。
「約束だから、しょうがないわよねっ」
わたしだって顔が火照って心臓だってバクバク言ってる。
…だって。まさか本当に逢いにきてくれるなんて思ってなかったんだもん。
わたしの書いたメッセージ…冗談混じりだったから笑ってくれればそれでよかったんだよね。…でも、本気にしてくれるなんてちょっと嬉しい。
…実はみんなの前で見せびらかした歯の浮くような文句がギッシリだったカードは後で没にしたの。送る段になって、恥ずかしくなってやめたのよね。
本当に送ったカードは…………
──遠くにいる真さんへ
バレンタインに逢えたなら、チョコより甘いキスをプレゼントしてあげるv
ずーっとそばにいてくれるなら、わたしを丸ごとプレゼントしてあげるv
な〜んてね!!(笑) xxx園子──
心の端っこで「丸ごと」をどうしようかとドキドキしながら、わたしはそっと真さんのくちびるに甘いキスを落とした。
美和ちゃん編
事件が解決したのは、もう夜の10時も過ぎていた。
大慌てで現場から公衆電話に走る新一の後姿を眺めながら、羨ましく思う高木だった。きっと彼女と待ち合わせか何かの電話だろう。いや、ひょっとしたら工藤君一人暮らしだし蘭さんはすでに家で暖かいご飯でも用意して待っているのかもしれない。…そんなことを想像してはため息をついた。
高木は警視庁に戻り雑務をこなした。
本当のことを言うと、少しは期待してたのにな。…もしかしたら待っててくれるかもとキョロキョロと周りを見回したが佐藤刑事の姿はなかった。時間も時間だからとっくに帰ったのだろう。
…佐藤さんからチョコレート、義理すらもらえないなんてな。
がっくりと肩を落としたまま警視庁を出て駅へと向かう。呆然と地下鉄に乗って。また一つため息をついてる高木だった。そこへ。
「あらぁ、高木君?」
「え?由美さん?」
交通課の由美が少し頬を染めて─ほろ酔い加減というところか─声をかけた。
「遅かったんだぁ、それで美和子はぁ?」
「…え?佐藤さんがどうかしましたか?」
「あれ?携帯にメール入ってなかった?」
「…実は、」
昼間の出来事を話すと由美が唸った。
「あーらら。帰る時ちょっと話したんだけど、高木君にメールしたってよ?」
「…ど、どんなメールですか?」
詰め寄る高木の目は血走っていた。
「あ、うーん、なんだっけかなぁ。待ち合わせかなんかだったかなぁ」
「ちゃんと思い出してくださいよっ!!」
「うーん、なんかとにかくあなたを美和子はどっかで待ってるのよっ!!」
「どこかってどこですか!!」
「…知らないわよぅ。美和子に電話してみたら?ホラ」
由美は携帯を差し出すが、車内で電話するのはタブーだ。間もなくアパートの最寄り駅に着き、猛ダッシュで公衆電話を探した。
由美は「がんばんなさいよぉ〜」とろれつの回らない口調でその後姿にエールを送っていたが、高木の耳には届いていないようだった。
そして。公衆電話の受話器を握ってから愕然とした。
「番号………」
番号がわからないのだ。いつでも携帯の機能に甘えすぎていた。以前の番号なら覚えていたが、最近迷惑メールのせいで番号が変わったからと美和子自身が高木の携帯に番号を入れた。それを確認もせずにそのまま…。
が。ふと思い出す。自宅のパソコンにも確か番号があったはずだ。美和子からの番号変更メールが届いていたから。
「よしっ。ともかく家へ帰ろう」
やはり気は焦り、早足がいつのまにか小走りになっていた。
早く連絡しないと…。佐藤さんは一体いつから待ってるんだ?どこで待ってるんだ?どこにいるんですかぁぁぁ?佐藤さぁぁぁんーーーっ!!!心で叫ぶ高木だった。
ようやくアパートへ。
ふと自分の部屋を見つめて少しだけ違和感。…うん?なんだろう?
ポケットから鍵を取り出し鍵穴へ…。
「あ、あれ?開いてる?」
まさかまさかまさか…………………泥棒?
そうだ、違和感は部屋の灯りだ。灯りがついているんだ。
用心しながらそっと音を立てないようにドアを開けた。……あれ?いい匂いがする。そして玄関先に揃えられたパンプス。それは見覚えのあるものだった。
急いで中へ入ると、そのコタツに突っ伏してうたた寝している美和子が目に入った。
「うわっ……嘘」
信じられずに夢じゃないかと目を擦る。けれど確かにそれは美和子だ。
台所には食事の用意がされていて、メニューはどうやらトンカツらしい。千切りのキャベツが美和子の「あまり上手ではないけど頑張ったのよ」という心意気を伝えてくれた。
鍋の蓋を開けるとみそ汁。具はオーソドックスに豆腐とわかめ。それはすっかり冷え切っていたのに、なぜかあたたかさが伝わってきて、高木は不覚にも目にうるませてしまっていた。
「待ってるって、僕の部屋のことだったんだ……」
ふと美和子の手元を見た。四角い箱にリボン。それはきっと…、それはきっと、そうなんですよね?佐藤さん?
だけど、起こすには勿体無いくらいにあどけない美和子の寝顔に、しばらくそのままにとそっと毛布を掛ける。
バレンタインが終わるまで、もうあと30分ほど。
ま、いいか…。ラスト一分でもバレンタインはバレンタイン。もう少しだけこのまま。チョコレートの前にその寝顔を先にいただきます。キョロキョロと誰も見てないことを確認して(って自分の部屋なのについ…)、高木はその頬にひそやかなくちづけを落とした。