プラネタリウム
少年探偵団の面々と図書館に出かけていた。
そこにあるパソコンでインターネットを楽しんでいると、一本のメールが届いた。実は発信者は阿笠博士で、俺たち(というか少年探偵団の子どもたち)へクイズを出して楽しんでいたわけなんだが。ともかく、俺たちはその挑戦状に踊らされ、あれこれと答えを導き出していた。俺は、鼻ッからネットがあれば、何についてでも調べられると、そこを動く気はなかったんだが、元太と光彦は踊らされるままに街へ出ていった。
探偵団バッジで、彼らの走りまわる様子を想像しながら、こっそり笑ってさえいた。が、その時。
「コナンくん、歩美ちゃん、今プラネタリウムです」
光彦が居場所を告げた。
プラネタリウムか…。そういえば、蘭が好きだったな。何度か足を運んだこともある。そう考えていた矢先、光彦の声が再び聞こえた。
「あ、蘭おねえさんじゃないですか!!」
…え?蘭?そこにいるのか?
俺の心臓の鼓動は高鳴った。向こう側の何気ない会話に耳を傾ける。新一とよく来たのよと笑う蘭。どんなふうに笑っているのか想像できなくて、胸が苦しくなる。
*****
はじめて二人でプラネタリウムに行ったのは、中学二年のことだった。いや、学校の遠足なんかで来ることはあったものの、二人で、まるでデートのような時を過ごしたのはあれがはじめてだった。
「今晩の夜空をごらん下さい」とアナウンスがあったあと、静かにBGM「星に願いを」が流れ出す。まだ明るい空に、現れた南の空に一番星。…あれは火星。次第に暗くなっていき、もう隣を見ても顔さえ見えないくらいに真っ暗になっていた。俺は、二人きりではじめて夜を過ごしているような妙な錯覚にとらわれ胸が高鳴ったっけ。いや、別にだからといってヨコシマな妄想をしていたわけではなく……。
目が慣れるに従って星もたくさん見えるようになって、時折流れ星が走るのを見ると、蘭は歓声をあげて喜んでいた。そして、俺はそのたび蘭を意識する。音楽が止まると星座の話しがはじまり、それを耳に傾けていると、少しずつ胸の鼓動が元のリズムを取り戻して行くのがわかった。
*****
阿笠博士からの挑戦状に答えを見出して、博士の待つ提向津側へ。そこに待ち構えていた博士は嬉しそうにクイズ正解の粗品を差し出し、探偵団の面々は大喜びでそれに飛びついた。
だけど俺は。先ほどの蘭のことが気がかりで。
博士の車で帰るその車中、蘭が一人でプラネタリウムにいる姿ばかり心にちらついた。時計を見る。あれから、もう一時間は経ってしまっていた。
蘭と一緒にまた星が見たかったな…。俺の本音は結局そんなところにある。
あ、でも、光彦たちが訪ねた時に投影はしてなかったんだよな?…えっと投影の時間、時間は…っと。
「なぁ、光彦?今日行ったプラネタリウムのパンフかなんか持ってねーか?」
「え?どうするんですか?こんなのもの」
おずおずと光彦がそれを差し出した。そして俺は確かめる。投影時間を。
…見ると、十五時三十分からとある。あの時間に蘭が待ってたのはこの投影に違いない。で、今は十六時。…投影時間は五十分間と書いてある。ってことは急げば……!!
俺は博士の車を降りて俺は走った。走った。走った!!
本来なら投影中の入場なんて許されるわけもない。だけど、こう言う時体が小さいことが吉と出る。受付嬢は俺の存在に気づかないまま。
俺は素早くプラネタリウムのドーム内に入り、時計型ライトを目一杯目立たないように点灯させて、蘭のいる場所を探した。
…いや、蘭のいる場所なら多分あそこだろう。直感でそう思う。中学二年の時に座った場所。一番後ろの一番左。俺は真直ぐその場所に向かった。
そして近づくと、その足下を照らして、それが蘭だと確認出来た後に隣の座席に腰掛けた。
ふー、なんとか間に合ったみたいだ…。
蘭は、隣にいきなりどっかと座ったこの俺を不審に思っているかもしれない。もしかしたら痴漢だなんて思ってないだろうな? 心配になって…と言うか空手技が怖かったからってのもある…名前を呼んだ。
「蘭……」
ピクリと反応を示す蘭が暗闇でもよくわかった。
「…し、新一?」
俺の顔を確かめようと暗闇に目を凝らしているのかもしれない。だけど、それはきっと無理。
「なんで?」
聞きたいことはいっぱいあるに違いない。
「うん?眼鏡のぼうずが教えてくれたんだ…」
「ふうん。コナンくんが……」
「でも、せっかく来たのにもうおしまいだな」
ドームに映し出された星空。BGMはあの時と同じ「星に願いを」だった。
しばらく俺は、そしてきっと蘭も、あの時の二人にタイムスリップする。あの日の胸の高鳴りが蘇る。そしてとても切なくなる。
…なんでだろうな?なぁ、蘭、おめぇもこんな気持ちなのか?今…。隣にいるのにそばにいるのにこんなに近くにいるのに、やっぱり遠い存在。蘭のこと、そんなふうに感じる。
音楽を最後まで聞いていられる時間はなかった。その前に姿を隠さなければ。
…俺、一体なんのためにここに来たんだろう?
「わりー、先帰るから…」
席を立って行こうとした。
が、行けない。ん?なんだ?
どうやら蘭が俺のシャツの裾を引っ張っているらしいのがわかった。
「おい、蘭…」
「またそうやって逃げる気でしょう?」
蘭の少し怒った声。
「ずるいわよ…」
…そうだな、俺、ずるい。なにしに来たのか。俺は蘭の気持ちなんて全然考えもしないでここに来て、また蘭の心を乱して帰ろうとして。こんなことなら現れない方がきっといい。なにも出来ないことがわかっていて、俺、なにしてんだか…。
「ごめん」
けど、行くしかない。
「あともう三分…ううん、あと一分でいいのよ?そしたら新一の顔が見られるのに…」
「おめー、そんなに俺の顔が見てーのか?」
茶化すように言う。蘭は無言だ。
…タイムリミット。
「じゃ、またな」
俺は蘭の手を振りほどく。
「見たいわよ…新一の顔、とっても。…ねぇ、新一はここになにをしに来たの?」
震える声がまた俺を引き止めた。
「俺は……俺はただ、蘭と、」
言葉に詰まりつつ咳払いを一つ。
「だから蘭と一緒に星が見たかったんだ。それだけ」
早口で言う。照れくさくてそういう意味でも逃げ出したい気分だ。
今、俺に言えるコトはそれだけ。ごめん、蘭。…また泣かしちまったか?
俺はその場を立ち去った。
そして、プラネタリウムの前で、『コナンとして』出てくる蘭を待った。
ほどなく蘭が現れて……。俺を見ると…ってこの場合コナンなんだけど…にっこりと微笑んだ。
「コナンくん、迎えに来てくれたの?」
「うん」
「ねぇ、今、新一ここを通ったでしょ?」
「え?う…うん。なんか急いで出てっちゃったよ…、また事件かな?あはは…」
取り繕う俺に蘭は悪戯っぽい目を向けた。
「ふ〜ん。……優秀な探偵が完璧な犯人になれるわけでもないのね?」
意味深な蘭の台詞に俺は「なんのことだ?」と考えあぐねた。
そして振り返る。思い巡らせる。プラネタリウムでの出来事、その台詞や動作なんかを。
「またそうやって逃げる気でしょう?」
蘭の台詞が耳に響いた。同時に引っ張られるシャツ……。振りほどこうとしても出来ない。無言の蘭………。
あっ!!…閃いた。
まさか………。俺はゆっくりと視線を自分のシャツの裾に落とした。蘭は俺の視線を追う。
「あ……」
やられた、と思った。シャツの裾に薄いピンクのリップクリームが…、しかもこれが証拠だと言わんばかりのくちびるの形、すなわちキスマークがそこには残っていたのだった。
「わたし、殺されてもちゃんとダイイングメッセージ残せそうだね」
キツ過ぎる笑えない冗句に苦笑する。
「バーロ、縁起でもないこと言うんじゃねーよっ」
「でも守ってくれるんでしょ?…新一が」
見据えられて、俺はあらためて決意を固くした。
「おう!」
絶対守る!!
「サンキュ」
蘭がいつもより穏やかな笑顔を見せた気がした。
なんでだろう?
まだまだ俺は女の子の気持ちなんて全然わかってないのかもしれない。もとい──蘭の気持ちなんて全然…。
いつもと変わらぬ帰り道。俺たちは手をつないで帰った。
夕陽が蘭を照らして、俺は頬を染めた。
ずっとこんなふうならいいと、思わずにはいられない。出来るなら元の姿で……
fin