キミに恋して ─横浜でーと―
朝から憂鬱だった。
昨日、突然父さんが言った。『ロスへ行く』と。『しばらく向こうで暮らそう』と。
ロス…小さい頃──それはまだ物心のつく前に住んでいた場所。
日常の英会話くらい出来たし、暮らすのに不便なことなんてない。
家族で行こうと言うのに、「行きたくない」と言えるほどの理由もない。ない。
ない……?
*****
"行こうぜ?"
そんな憂鬱を背負って、いつものように学校への道を急いでいた。少し家を出るのが遅れたせいか、学校近くまで来ても他の生徒たちには誰にも会わなかった。
その時、後ろから走り寄る影があった。
「新一!!遅刻よっ。急いで!!」
大騒ぎしているのは、幼なじみの蘭だった。ちょうど衣替えのあとで、制服は夏服に切り替わったばかり。蘭のセーラーの白がやたら眩しく通り過ぎていく。
「よっ、蘭!!めずらしーじゃねーか、寝坊か?」
足並みを揃えるために、俺も一緒に走り出した。
ふと顔を見ると、どことなく目が腫れている。いつもの笑顔が出ない。
泣いてたのか?うん?…なんかあったか?
思いを巡らせていると……俺はその理由らしきものに行き当たった。
しまった!!そう言えば昨日は蘭の空手の初試合だった。俺はロス行きの話のせいで、ずっと塞ぎ込んでいたんだった。気を紛らわせるために読み始めた推理小説のおかげで…………。
「応援しに行ってやっからよっ」
そう軽く声を掛けたのは土曜日のこと。
「絶対来てよね?」
蘭は疑り深い目で俺を見る。
…それを思い出した。
「おいっ、蘭、待てよっ」
置いて行かれそうになるのを慌てて追いかけた。
蘭は返事もしないでどんどん走って行く。
「昨日は…ごめん!!」
蘭を追いかけ、目の前に回り込んで両手を合わせた。
すると、蘭が足を止めた。
「……なんで謝るの?」
「なんでって、昨日……すっかり忘れてたんだ……だから、ごめん」
「……別に怒ってないよ、そんなこと」
…こっちが下手に出てるってのに「そんなこと」だとぉ?
けれど、蘭が落ち込んでることは見ればわかった。
「試合……上手く行かなかったんだ」
走るのを止め、俯きがちに蘭は言った。
…なるほど、負けたのか。
「でも、アレだろ?初試合で、しかも一年で参加するってだけでスゴイわけだし……」
「…自信、あったんだもん。一回戦で当たった相手、ついこの前の練習試合で楽勝だったんだ。…わたし、いい気になりすぎてたみたい」
「ふうん」
「向こうは、その練習試合から昨日まで必死で練習してそれで強くなってるのに、わたしったら……。なんか……勝手にわたしってば強い!!…なんて天狗になってたんだなぁ」
「けど、蘭だって一生懸命やったんならさ…」
「…うん、そだね」
さびしそうに笑うから。
俺だって憂鬱だったし。
学校のはじまりのベルが鳴っているのを聞いたから余計。
「行こうぜ?」
俺は蘭の腕を掴んで、学校とは反対の方向に歩きはじめた。
「えっ?なに?どこ行くの?」
慌てる蘭もなんのその、俺はもう学校に行くつもりなんてさらさらなかった。
そのまま駅のホームまで歩いて、ようやく口を開く。
「たまには気晴らしな?」
「気晴らし?……でも制服だよ?」
「あ……。だな?」
そこまでは考えてなかった。下手すると補導されるかもな。
「切符…どこまで買ったの?」
「うん、横浜」
「横浜?…なんで?」
「なんとなく」
場所なんてどこでもよかったんだ。
電車に乗って、一駅一駅、遠くへ遠くへ。
まるで、なんだか駆け落ちでもするような気分だった。
……ホントにそうしようか?
ふと心に本気が横切り、苦笑した。
蘭を見る。俺のこんな考えなんてきっと思いもよらないだろうなと思う。
その時。
「なんかさ、これってまるで駆け落ちみたいだね?」
蘭はこう言った。
「えっ?」
驚いた俺は、少しばかり動揺した。
けれど、蘭のその表情はあまりにあどけなく無邪気で。俺の本気など気づいちゃいない。
…ま、いっか。
「それより、新一こそ元気ないじゃない?朝だってなんだかボーっとしてたしさ……」
「え…?」
俺の気持ち、俺の表情、蘭にはわかるんだろうか?
さすがは幼なじみ……なのか?
「別に……」
素っ気なくそう言うと、俺は電車から外を眺めた。
蘭が落ち込んでる時に、ロス行きの話なんて切り出せないよな・・・。
「なーによぉ。変なの」
「変ってなんだよっ」
「変だから変って言ってるんじゃない!!・・・人がせっかく心配してあげてるっていうのにさ」
蘭は頬を膨らませて背中を向けた。
どうにも、駄目だ。
俺たちって気心が知れ過ぎてるからか、なんかいつもこうだ。喧嘩する気なんてないのに、思わずお互いにカチンと来ることばかり口にしてしまう。
「うれしかったのにな……」
蘭がボソリと呟いた。
「学校行きたくなかったんだもん、今日。だから……。連れ出してくれてうれしかったんだけどな」
蘭は独り言のフリで本音を吐いた。
「俺も……今日はちょっとな……さぼりたい気分だった」
「ちょっとって…?」
蘭が振り返って聞いた。
「…んだよっ。独り言だろっ」
「ずるーいっ!!」
「バーロー、俺だって色々あるんだよっ」
「もう………」
ため息をつく蘭。だけど、俺はそのため息の本当の意味をまだ知らなかった。
*****
"新一がいたからね"
横浜中華街──。
その延平門(エンペイモン)から足を踏み入れた。蘭はめずらしそうに振り返っては眺めている。
少し進むと、きらびやかなお寺・関帝廟(かんていびょう)がある。散歩がてらに立ち寄って、ぐるっと一回り。蘭は、そこにある狛犬が気に入ったらしく、にこにこしながら頭を撫でていた。
「その表情、どことなくおめぇに似てるよ」
と言うと。
「そーお?」
と喜んだが、次の瞬間複雑な顔つきに変わる。
「…似てるの?狛犬に?」
俺はそんな蘭が可笑しくて大笑いした。
…うん、どことなくその優しそうな表情はホントに似てるって。
まだ昼前だったせいか、中華街の店はどこも準備中で人影もまばらだった。
「公園でも行くか…」
俺たちは、そこから近くの山下公園へと歩いた。
幼なじみの同級生。俺たちの関係って言えば今はそれだけ。ずっとそれだけかもしれない。
公園までの道で、何組かのカップルを横目で見ては頬を染めた。
つなぐ手。組んだ腕。息のかかりそうなくらいの恋人たちの距離。見ているだけで顔が火照る。俺たちはと言えば、適当な距離を維持しながらただ歩いた。…この距離は、いわゆる友達としての距離だった。
「新一は来たことあるんだね?スイスイ歩いて行っちゃうんだもん」
「ああ、父さんの知り合いの店が中華街にあるんだ。それで何度かな…」
「わたしは今日はじめてなんだ」
「あれ?家族で……」
家族で来たことはないのか?と言いかけてやめた。今更だった。蘭のとこの親は別居中。
「いいよね。新一のとこはさ、おじさまおばさまがとっても仲良くて」
「え……?あ、そっか?」
特に考えたことはなかった。それが当たり前で育ってきた。
「うちは、ホラ、お母さん意地っ張りだから帰って来てくれないんだよね…」
「ああ、それにあのおっちゃんだしな」
同情するように言葉を繋いだ。
「だけど」
その次に蘭は俺に笑顔を見せた。
「新一がいるからね」
「えっ?」
意外な言葉に唖然とする。
「ずっと小さい時から新一がいたからね。だから、さびしいなんてあんまり思わなかったんだと思う…」
素直な蘭に向ける言葉を俺は知らない。
心臓の音がいつになく高鳴って、俺も同調しそうになる。
「俺だっておめぇがいるから……」
言いかけた言葉は、氷川丸の銅鑼(ドラ)の音がかき消した。
停泊してるだけの船の癖して、邪魔するんじゃねーよっ。
俺は、ムッとしながら船を睨みつけた。
『新一がいたからね……』
俺は、蘭のその言葉を何度も何度も噛み締めた。
…それを聞いたから、だから決心したんだと思う。
たった今決心したんだ。
ロスには行かない!!
うじうじ悩んでたってしょうがない。
ここにいよう。蘭のそばに。蘭の隣に。
そして、いつか…………。
*****
"あぶねーからなっ"
「お腹空いたね……」
そろそろ、どこからともなく──って中華街に決まってるんだが──美味しそうな匂いが漂ってきた。
「よっし、買い出しに行くぜ?」
「買い出しって?」
「中華街戻って中華まんでも買って来よう」
「…なるほどね」
ほかほかの中華まんを抱いて、俺たちは再び公園に戻った。
蘭は普通の豚まんを、俺はピリ辛と謳われていたふかひれまんを買って、デザートにと椰撻(ココナッツタルト)と言う中華のお菓子も仕入れた。それからペットボトルでウーロン茶もそれぞれ一本ずつ。ベンチに座って広げて食べた。
「ねぇ、それってどんな味?」
蘭が聞くから、
「食うか?」
と何気なくふかひれまんを差し出すと、そのままパクリと蘭は食べた。…食べちまった。俺がかじった部分を躊躇することなくパクリと……。
「うわ、かっら──っい!!」
蘭は、そのピリ辛に驚いて手近にあったペットボトルを手に取りごくごくと飲んだ。だけど…、おい、それ俺んだぞ?しかも俺の飲みかけだぞ?
蘭は、そんなこと気づきもしないのか全然動じず、買って来たものを次々と平らげていった。
俺が、次にお茶を飲むとき、どんなにドキドキしたか知ってるか?
おめぇがかじったふかひれまん、しばらく眺めてたのに気づかなかったか?
これは喜んでいいのか、悲しむべきことなのか……。俺は心でただただ苦笑するばかり。
「食べたら、船でも乗るか?」
「船って氷川丸のこと?」
「ちげーよっ。ちゃんと動く船。シーバス乗って、向こうへ行こうぜ」
遠くみなとみらい地区を指差す。ランドマークタワーに、遊園地。なんだかこれってやっぱりデートコースだな。
「お天気、持つといいね?」
蘭が空を仰いだ。見上げた空はどんよりと暗く、今にも降り出しそうな雲行きだった。
「そうだな。天気がよきゃ、橋も綺麗だったんだけどな」
「そっかぁ、残念」
ぼんやり中華まんを食べていると、桟橋からアナウンスが聞こえてきた。
「出港時刻は二時三十分。乗車券をお持ちの方はお急ぎ下さい」
時計を見る。出港まであと五分?これを逃したら三十分待ちか?
「蘭、行くぞっ!!」
俺は蘭の手を取った。腕を掴むんじゃなくて、手を。その手のひらを自分の手の中に納めた。一瞬ドキッとしたけれど、それどころじゃないからよかった。出港ギリギリで乗船。間に合って胸を撫で下ろした。
平日だって言うのに、人はたくさん乗っていた。どうやら、どこかの団体さんが紛れ込んでいるらしい。座席はもういっぱいで座れそうになかった。
なんとなく視線を感じる。どうやら大人たちは、制服姿の俺たちをものめずらしそうにじろじろと見ているようなのだ。
そして、その視線が実はつないだ手にあることに気づいたのは、シーバスからベイ・ブリッジが右手に見えて来た時だった。
ハッとして手を離した。
すると、蘭が少し不安そうな視線を見せた。
だけど、一度離した手を、もう一度つなぐには勇気がいる。シャイな俺には無理な相談だった。
「橋があんまり見えねーな」
そんな台詞で誤魔化したつもり。
「うん、そうだね」
蘭ががっかりしているのは、本当に橋が見えないせいなのか?…いや、これは自意識過剰か?
「…また来ようぜ?そんな遠くないんだしさ」
軽く言ったものの、それはあまり現実的な話でもなかった。そして実際、ここへ来る機会は、俺がコナンになるまで訪れなかった。
俺だって、蘭の手に名残があった。もう一度、もう一度……チャンスをうかがい、胸は高鳴った。
そんな時、どこかで神様が加勢してくれていたのだろうか。船が大きく横に揺れ、まんなかで立ち尽くす俺と蘭は二人でよろけた。思わず蘭は俺の腕につかまり、俺は蘭を抱き寄せた。
「あぶねーな…」
あらぬ方向を見ながら俺は言う。
「う、うん……」
蘭も頬が真赤に染まってたと思う。
「あぶねーからなっ」
そう言って俺は、もう一度蘭の手をこの手の中に納めることが出来たのだった。
*****
"行かないでよっ!!"
ほどなくシーバスはみなとみらい地区に着いた。わずか二十分ほどの船旅だったが、それがまた駆け落ちっぽいなどと思いつつ蘭の横顔を見た。
蘭は、そびえたつビル郡に圧倒されながら、キョロキョロと辺りを見まわした。
「なんだか迷子になりそうね?」
「そっか?」
「例えばあの場所に行くには、どこを通れば行けるわけ?全然わかんないよぉ」
「ふうん。……じゃ」
俺は口実を見つけた。蘭の手をもう一度…その口実だ。
「とりあえず、あれ乗ろうか?」
見上げたのは大きな観覧車だった。
「うん、観覧車ね。行こう行こう!!」
無邪気に喜ぶ蘭の手を引く。
いつのまにか、その距離は友達から少しだけ恋人のそれへと近づいた気がした。
歩きながら、はじめてここに来たという蘭に説明は怠らない。
「あれがランドマークタワー、それからあれが………」
蘭は「うんうん」と聞いている。
「そうそう、それから、あれが神奈川県警!!」
これを言うと、「あ、そう」とジト目で睨まれた。
実は、ここのところ、優作が事件現場に呼ばれる度に……いや、父さんは探偵じゃないんだが、警察関係者の人たちと親交があって、難しい事件の時は助言を求められるのだ……俺は、興味津々でくっついて行くのだった。おかげで、蘭と約束していたはずの映画はいつのまにか終わっていたり、蘭との会話に生々しい事件の話が加わったり。…つまり、蘭は「警察」と名がつくものにはどうにもいい顔をしないのだ。
休日にはきっとたくさんの家族連れやカップルで賑わうだろう観覧車も、平日のこの曇り空ではさびしいものがあった。だから待ち時間なしですんなり乗ることが出来た。
俺たちは向かい合わせで座った。
向かい合わせってのは、なんだか遠い。一つ前のカップルは並んで座ってた。多分後のカップルもそうだろう。
こういう空間は、俺たちに…いや、俺にとっては結構息苦しい空間だった。蘭は、そういうこと全然気にならないみたいだけど、俺は前後のカップルの動向ばかりが気になって……。
はぁ……。バッカみてー。
「ねぇ、あれって何かな?」
蘭が下を見下ろして言う。見ると、川にボートが浮かんでいて、数人がオールを持って漕いでいる。
「ああ、どっかの大学のボート部が練習してんじゃない?」
「ふうん」
蘭は俺に聞けばなんでもわかるとでも思ってるんだろうか。観覧車に乗ってから、あれこれと質問攻めだった。
俺は、そんなどうでもいい話なんてしたくねーんだよな…。
もっと。
…?もっと?………なんだ?
俺は自分に問い掛けていた。
これって、この気持ちって、もしかして………。
しばらくして、観覧車はてっぺんを通過したらしい。あとは降りるだけ…。
その時だった。
ゴンドラ内のスピーカーからアナウンスが聞こえた。
「安全確認のため観覧車が止まります。間もなく復旧いたしますので、しばらくお待ち下さいませ」
安全確認?…なんだそれ?
「えっ?止まるの?」
そうして、静かに観覧車は止まった。
途端に、風のせいでゴンドラは激しく揺れた。
「やだぁ……なんか怖いね」
蘭は、キョロキョロと前後のゴンドラの様子を覗った。その時。
「ひゃっ」
蘭が小さく叫んだ。
俺はすかさず席を立って蘭の隣に座る。
が、それが余計にゴンドラを揺らして、蘭は更に声を上げる。
「新一、なんで立つのよっ。揺れるじゃない!!」
激しく抗議しながら、もう蘭は俺の腕にしがみついている。
「…んだよっ、人が心配してやってんのに」
そう言って意地悪で席を立とうとしたら、今度は蘭が離さない。
「行かないでよっ!!」
…え?
俺には違う意味に聞こえ、ハッとした。
ロスに行こうとしてる俺を引きとめる言葉に思えた。
本当の話をしたら、蘭はなんて言うかな?今みたいに「行かないでよっ!!」って止めてくれるだろうか。
「行かねーよっ、どこにも行かねー……」
おめぇを残して行けるかよっ。
しばらくして再びアナウンスが聞こえた。
「お待たせしました。復旧いたしました」
静かに観覧車は動き出した。
ふと視線を目の前のゴンドラに移した。そしてはじめて、先ほどの蘭の小さな悲鳴のわけを知った。
「あ……あれ」
つい指差した。
「そうなの、ずっとなのよね」
蘭はため息を洩らした。
どうもそのゴンドラのカップルが始終いちゃいちゃしていたらしい。蘭がそわそわとどうでもいい話をしたわけは、きっとそこにもあったんだろう。そして、あの蘭の悲鳴の瞬間は、おそらくキスでもはじめたんじゃねーか?
蘭はまだ、俺の腕にしがみついている。
うん?なんとなく柔らかい…?ああ、蘭の胸…?こいつって、こんなに…?
無意識に俺がその辺りに視線を落としているのに気づいた蘭は、ハッとして手を離した。
「なんかさぁ、怖いよね?」
「え?何が?」
「観覧車止まると、すっごく揺れるのね。これ、もしも三十分…一時間なんて続いたらきっとパニックになっちゃうわね」
「ああ、そうだな。結構揺れるもんな……」
いちゃつく後ろのカップルが相変わらず気になった。俺は蘭とのこの少しの距離が憎らしくて。
だけど。
今日のところは、ちょっとしたトラブルのおかげで、蘭と隣り合わせで座れたことをラッキーだと思おう。
観覧車のゴンドラが地上に着く頃、俺は自分の気持ちに気づき、そして認めた。
俺は、蘭が好きだ。ずっと蘭の隣にいたい──と。
"逃げるぞ?"
遊園地での蘭は、くるくるとよく笑った。そんなに大金を持ち歩いているわけでもないので、あれやこれやと乗ったりは出来ない。観覧車だけで目一杯だった。それでも、ただ見て歩くだけでも蘭はとても楽しそうにしていた。
メリーゴーランドの前でのことだった。
「ねぇ」
突然、蘭がじっとこちらを睨むようにして立ちはだかった。
「なんだ?」
「そろそろ話してよ。…なんかあるんでしょ?」
「え?」
俺がぐるぐると頭で考えてることがわかるのか?
だけど、もうロスの件なら解決済み。今更蘭に言わなくてもな。
「なんかさびしいよ……。小さい頃ならさ、どんなことでも言ってくれてたのに。なんか新一が遠くに行っちゃうみたいで……」
泣き出しそうな蘭に、俺はどうしていいかわからなかった。
「お、おいっ…」
『泣くな』と言うより早くに蘭はボロボロと泣きはじめた。
「蘭…」
俺はその肩を少しだけ抱いた。公衆の面前ではこれだって勇気がいる。それでなくても制服で俺たちは、好奇の目にさらされてたわけだし…。
その時。不意に後ろから肩を掴まれた。
「ちょっと…君たち……」
…まさか補導?
声の様子で想像した通り、振り返るとそれは補導員らしかった。
「どこの学校………」
話を最後まで聞いちゃいられない。今は蘭と大事な話をしてるところだ。……邪魔すんなよなっ。
俺は邪険にその手を振り払って、蘭の手を掴みそっと耳打ちした。
「逃げるぞ?」
目を丸くした蘭に有無など言わせない。
補導員は思いも寄らぬ展開に、
「おい、こらっ、待たんかぁ!!」
と激しく怒鳴りつけ、それを聞きつけた制服を着た警官が駆け寄って来た。
「どうかされましたか?」
警官に、補導員の男は、
「あの二人が……!!」
「あの二人が?」
もうすでに小さくなっている影を指差して。
「もしかしたら、捜索願いが出てるY校の二人かもしれん。事情は知らないが自殺をほのめかしているらしいんだ。あ、でも……」
「わかりました。まかせて下さい!!」
警官は無線で連絡を取ると、もう影の見えなくなった二人を全速力で追いはじめた。
「いや、でも…その、まだそうと決まったわけじゃなくて…。男女の中学生風ってだけで……」
補導員は、警官のいなくなったあとで今更のように言い訳していた。
「なんで逃げるのよっ!!」
走っていると蘭が抗議しはじめた。
「いや、別になんでって…。ホラ、補導なんてされたら親呼ばれたり学校連絡されたりでややこしいだろ?」
「うん……ま、確かに親には出てきて欲しくないけどさ」
「だろ?」
もう、補導員なら撒いたはずと暢気に歩きはじめていたら、二方向から、制服の警官がこちらに走ってくるのが見えた。
「な、なんだ!?」
わけがわからないながらも、ここまで来たらもう「逃げろ!!」だ。
「ホラ、行くぞ!!」
蘭の手を取って再び走り出す。が、途中、すっかり息が上がってしまう蘭を見て、もうここまでかと観念しそうになった。そこは丁度橋の上だった。
見下ろすと、先ほど観覧車から見えたボート部の学生たちがまだオールを持ってボートを漕いでいる姿があった。
よしっ。
俺は迷わず、下に向かって叫んだ。
「すいませ────ん!!!乗せて下さ───いっ!!」
学生たちは目を丸くしながらこちらを仰いだ。
リーダーらしき一人が大きく手でOKサインを送ってよこしたのを見て、俺は躊躇なく蘭を抱え込むと、その橋げたを跨いだ。
蘭は、
「し、新一?なに?なんなの?」
と少しバタバタと暴れたが、
「ちゃんと掴まってろよ」
と俺が言うと、力いっぱい俺に掴まり、目を閉じた。
そして、次の瞬間──俺たちは飛んだ!!
下の船では、自分たちの救命胴衣を脱いで、それを真中に寄せ集めてクッションを作ってくれていた。
俺は飛ぶ瞬間も、蘭がスカートであるということは念頭にあった。下の連中に見られでもしたら……。だから、ちゃんとその部分は気を使って必要以上にしっかりと抱きしめていた。
蘭を抱きしめること……それは勿論事故みたいなものだったけど、それでもこの心臓の高鳴りはホンモノだった。
そして、見事着地に成功。協力してくれた学生たちも拍手喝采だった。
「もう!!なに考えてんのよっ!!」
ご立腹なのは、蘭ただ一人。
「まぁ、上手くいったんだし、よしとしよう!!」
俺は笑い飛ばしたが、蘭と来たら俺の腕を取って関節技で攻めてきた。
いてててて。…ったく。
そんなやりとりに、助けてくれた学生たちは大いに笑い、勿論からかうことも忘れなかった。
「中学生カップルか?」
「いいよなぁ。学校サボってデートなんてよぉ」
「俺なんていない歴もうかれこれ十八年」
「…ってそれ、生まれてから一度も付き合ってないってことじゃねーか?」
「ご名答!!」
笑い合う豪快な男たちに圧倒されて、俺も蘭も「ただの幼なじみ」だと主張することも出来ないまま、船着場に到着した。
「仲良くな!!」
「結婚式には呼んでくれよっ!!」
…そしてまた高らかに笑う。
俺たちは、赤くなりながら何度もお礼を言った。
そしてまた蘭と俺は二人きりに戻った。
カップル扱いされたことに苦笑しながら、それでも満更でもなく。二人、歩きはじめた。
「新一ったら、いつもいつも無茶苦茶なんだから…」
蘭はまだ先ほどのことを根に持っているらしい。ボソリとそう言った。
「無事に逃げられたんだから、いいだろっ?」
そう言うと黙り込んだ。そして。
「…いつだってなんでも上手くいくとは限らないんだからね?…もしも新一が危険な目に遇って、それで…もしもわたしの前からいなくなったりしたら……」
え?それって……。
蘭、おめぇ、もしかして、もしかすると……?
「不安なのよ…。中学に入ってから、新一なんだか遠くに感じて。隠し事だってしてるし…。言ってもらえないのって……さびしすぎるよ…」
補導員に止められた会話の続きがはじまっていた。
「だから、それは……」
「幼なじみでしょ?言って欲しいのよ。わたしだって新一の力になりたいんだから……」
蘭の強く鋭い視線に参った。
「わかった。わかったから……」
ロス行きの話。もう結論は出たけど、言うよ…。
そう思ったとき。子供の泣き声がどこからか聞こえてきた。
「うん?」
キョロキョロと蘭は回りを見まわした。
ほんの十メートル先に路地がある。そこから聞こえてくるのか?
蘭は駆け出した。俺もあとを追った。
そこには、三才か四才くらいの女の子が一人で号泣している姿があった。
「どうしたの?お母さんは?」
蘭がやさしく声をかけている。
「迷子になっちゃったのかな?」
返事もなにも出来ないその女の子は、ただひたすら泣きつづけた。
丁度その路地から真直ぐ目の前に大きな建物が目に入った。
あれは………。
蘭はそれを見ると、俺に振り返った。
「行こうか?」
その場所は───神奈川県警。
俺は一つため息をついた。それでも蘭のそのお人よしなトコがとても好きだとあらためてそう思って苦笑したのだ。
俺と蘭との間にその女の子を挟んで、手をつないで歩いた。
まだ親子に見えるはずもないが、ふと少し未来を想像してみた。
俺と蘭と…二人の子ども。そんな日がもしかしたら願えば叶うかも…。先ほどの蘭の『不安』は、俺に夢を見させていた。
*****
"ありがとう"
すっかり日も傾きはじめた夕刻。神奈川県警に到着した。
その入口でまず、先ほど追ってきた警官と出会った。俺たちを指差して「ええ―――っ!!」と驚いている。
そりゃそうだな。あれほど決死の覚悟で逃げてたくせに、今は自分からのこのこと出向いてきているんだから。
「き、君たち……?」
声をかけられて、説明する。
「この子、迷子みたいなんで……」
ついでに俺たちは色々注意を受けることになる。
取り調べ室ではないが、グレーの机が並ぶ殺伐とした部屋で、あれやこれやと問われた。
逃げたこと。橋から飛び降りたこと。そして、学校は?どこから?親は何をしてる?質問攻めに遇ってるときに、ノックの音がした。
「はい?」
担当の警官がドアを開けると、その向こうに先ほど遊園地で会った補導員の男が男女のカップルらしき中学生を連れているのが見えた。
「あ、例の中学生見つかりましたので。ご心配かけまして…」
小声でも、そんなやり取りはよく聞こえた。
ドアを閉めて、俺はその警官に聞いた。
「どういうことですか?例の中学生って」
「いや、その、なんでも捜索願いが出ている中学生カップルが自殺をほのめかして大騒ぎ!!…なんてことがあったもんでな」
「もしかして、その二人と俺たちを間違えた?」
「そう…、うん、まぁ、そういうことかな?」
「ちょっと!!いい加減にして下さいよ!!」
俺は席を立って警官に怒鳴りつけた。
「だけど、君たち!!君たちだって話も聞かずに逃げるから……」
「そりゃ逃げますよ。補導されて親に連絡でもされたら……」
それを言って俺はハッとしたが、警官も気づいたようだ。
「あ───っ!!」
警官は突然叫んだ。
「そうだな、学校サボって二人でここにいたということで既に、補導されるべきことなんだよな」
変に納得しはじめている。
「親に連絡して迎えに来てもらうからね」
切り札だと言わんばかりに警官はニヤリと笑った。
…ったく、やな奴。
「それじゃ、せめて俺の親だけにしてくれませんか?」
「ああ?どうしてだ?」
「いや、こいつの親、めちゃ忙しいんで…」
「うん、まぁ、しょうがないな。じゃ、君の名前と電話番号と……」
聞かれて、俺は父親の工藤優作の名前を出した。途端に、
「え?工藤先生の?」
驚いた警官は、引きつり笑いを見せながらその部屋を出ていった。
残された蘭と俺は、
「なんなんだ?」
と不審に思ったが、どうやら優作のことを知ってるらしいのは見て取れた。
「ごめんね…」
蘭が小さくつぶやいた。
「え?何が?」
「さっき、わたしの方の親には連絡しないって言ってくれて…」
「ああ、あれね」
「ありがとう」
「いや、それは……ホラ、俺がおめぇんとこのおっちゃんに責められるのが怖いから…。だからだな…」
「…うん」
蘭は、はにかむように頬を染めて笑った。
しばらくして部屋のドアが開いた。
と、そこに父・優作の姿が!!
これは驚いた。なんでここに?しかも、さっき警官がここを出てから10分と経ってない。
「父さん?」
「よぉ、蘭くんも一緒なんだね?お忍びでデートかい?」
…お忍びって、俺たち中学生だっての。
「さっきの警官は?」
「ああ、息子がここに来てるから連れて帰ってくれってな。それから伝言だ。迷子の女の子は無事母親と再会出来たらしい。君たちによろしくってことだよ」
「わぁ、よかった!!」
蘭がぱぁっと笑顔になった。
「…にしても。そもそも、なんで父さんがここにいるんだ?」
「丁度、講習会の講師に呼ばれてたもんでね…」
「講師?ってなんの講師だよっ?」
「ははは、犯罪者の心理だとか手口だとか、そう言った話をね…」
「ふ〜ん」
俺は胡散臭い話だなとジト目で優作を睨んだ。
優作はただ、はははははと笑うばかりだ。
「さてと、それでは帰るとするかな。外もすっかり暗くなってるし」
優作が窓の外を見るのにつられて、俺も蘭も窓から外を見た。
ここは、十二階。ほどよい高さ。だから、向かい側のベイブリッジが光っているのが綺麗に見えた。
「うわぁ!!」
蘭は、窓に駈け寄ってじっと橋を見る。それこそ目をキラキラさせて。
「行ってみるかい?」
優作が声をかけ、
「え?行けるんですか?」
うれしそうに振り返る蘭。
「父さん、車?」
「そうだよ」
「そりゃ、助かった」
「うん?」
「実は帰りの電車賃もう切れてたんだ」
頭を掻いて笑った。
すると、
「ええ──っ!!」
驚いたのは蘭で。
「なによそれ!!一体このあと、じゃあ、どうするつもりだったの!?」
剣幕はただごとではなく。
「ま、こうして父さんに遭遇出来たわけだし、よしとしよう!!」
そう叫ぶと、蘭の疾風のような足技が鼻先まで飛んできた。
「おいおい、蘭くん……。スカートなんだからね、一応」
ゴホンと咳払いしながら優作は視線を逸らした。
蘭は顔を真赤にして俯いた。
そうして優作の車に乗りこんだ。後部座席に二人並んで座っている。
「じゃ、せっかくだから寄るよ?ベイブリッジ」
優作が鼻歌混じりそう言うと、蘭は、
「…でも、もう時間が……」
さすがに夜の七時を過ぎていたから気が気でないのだろう。
「ああ、言い忘れていたが蘭くんの自宅には連絡入れておいたから」
「え?」
「少しお嬢さんをお借りしますって丁重に断りを入れておいたよ」
「…おじさま?」
「余計なお節介だったかな?」
「…そんな。ありがとうございます」
そうして、車はベイブリッジに向かった。
通り過ぎる横浜の街灯りがとても綺麗だ。その灯りに照らされた蘭の顔がいつもより少し大人びて見えた。
*****
"おめぇが泣くからだよっ"
「あ、青い光…」
蘭がベイブリッジを眺めながら不思議そうにつぶやいた。
「だって、さっきまで確か白かった……よね?」
同意を求める。
「あれはね、時刻が二十分から三十分の間と、五十分から〇分の間だけ、青い光に変わるんだよ。その向こうにある鶴見つばさ橋も、同じ時刻に緑色に変わるようになってるんだ」
優作が自慢げに話した。俺は内心「俺だって知ってたって」…などと、いいところを見せられなかったことを悔しがったりしていた。それをバックミラー越しに見て、優作がニヤリと笑ったことなど全然気づかず。
「ところで、今日は学校は休みかい?」
優作が柔かな物腰で聞いた。
「あ、いいえ。違うんですけど、実はわたしちょっと落ち込んでたから…それで新一が気晴らしにって誘ってくれて…」
「え?蘭くんが落ち込んでたのかい?また、わたしはてっきり新一が……」
「あ――っ!!」
余計なことを口に出そうとする優作の言葉を遮った。
「なんなのよ、新一!!」
蘭が不機嫌そうに睨んだ。
俺は、なんとなく視線を外して蘭に背を向けるようにして沈黙した。
…父さんの前で言えることじゃねーよな。
第一まだ父さんに「ロスには行かない」宣言もしていない。
今ここで言うと話がややこしくなるよな……。
蘭もまた黙って車の外を見ていた。
優作はその様子をバックミラーで覗いながら車を走らせる。橋を渡りきってつぶやいた。
「ギリギリだな」
駐車場に車を停めて、優作は言った。
「さぁ、着いたよ。スカイウォークだ。わたしはちょっと疲れたんでここで待ってるから。二人で行って来るといい」
優作の計らいに、蘭は不機嫌ながらも従った。俺は、優作のさりげないウィンクに頭を掻いた。
「入場は七時半までらしいからね、走らないと間に合わないんじゃないか?」
…え?また走るのか?今日はこんなのばっかりだな。
「よし、行くぞ、蘭」
俺は気合を入れてみたが、もう蘭にはそんな元気はないようで。
「間に合わないんだったら……もういいよ」
らしくない後ろ向きなことを言う。
「行こうぜ?せっかく来たんだから」
「うん……でも」
手をつないでも、蘭は走ろうとはしなかった。
俺は、優作の耳に入らないように小声で囁いた。
「話……するから。ちゃんと、するからさ」
そう言うと、蘭が俺をマジマジと見た。
「…ホント?」
俺は頷くと、もう一度蘭に聞いた。
「行くぞ?」
「うん、行こう!!」
俺たちは手をつないでスカイウォークへ急いだ。
入場したのと同時に橋のイルミネーションが白へと変わった。
スカイタワーのエレベーターを昇って、そこがスカイプロムナードの入口になっていた。
俺もここへは、はじめて来た。歩いてこの展望を臨めるのは新鮮だった。なるほど空中散歩と銘打っているのも頷けた。
「綺麗ね」
蘭は今日を振り返るように、みなとみらい地区や山下公園辺りを眺めて言った。
平日だからか閉館間近だったからか人影は少なく、少しばかりの緊張感が生まれる。俺と蘭………二人っきり。
みなとみらい地区のビル郡や桟橋、停泊している船までも、イルミネーションはとてもとても美しく……だけど、俺はそのイルミネーションが映る蘭の瞳を見ていた。
「うん…綺麗だな」
俺はそう答えて、少し照れた。
「それで?話って?」
蘭はゆっくりと前を向いて歩いた。
俺は蘭の後ろ姿を見ることになる。
「あ……それね。実はさ、俺んちロスに行くことになってな」
そこまで言うと蘭は立ち止まった。
声も出ないのか、そのまま振り返ることもしない。
「それ聞いたの昨日……。で、俺なんとなく落ち込んでて…。けど」
「いつ……?」
背中を向けたまま蘭が口を挟んだ。
「え?…ああロスに発つのはってことか?それが急で……来週か…そのくらいにって…けどな」
「そんな大事なこと、なんで黙ってるの!?」
蘭は怒った様子で足早にスタスタと前を行く。
「おいっ、待てよ」
それでも、振り返らず止まらずに。
俺は思わず腕を掴んだ。
「ずっとずっと……一緒だったのにね?」
ようやく蘭は止まって振り返った。すでに頬は涙で濡れていた。
「ちょ、ちょっと待て!!話は最後まで聞けよっ!!」
大きな声で叫んでしまった。
蘭は吃驚して目を丸くした。
「だけど、俺は行かないから。…ここに残るから…だから」
「だから?」
「……泣くなよっ」
蘭は涙を拭って俺を見て聞いた。
「…ホントなの?」
「うん。……でもまだ親父には言ってねーんだけどな。なんせ、今日決めたんだ」
「今日?どうして?」
「えーっと…だから、…………おめぇが泣くからだよっ」
俺は、蘭の手を取ると、先導するようにして歩きはじめた。
蘭は黙ったままついてきた。
しばらく歩くとスカイラウンジがあった。そこには、まばらではあったが恋人たちがそれぞれの世界に浸っている様子で。俺たちはまた目のやり場に困った。
「新一……」
「ん?」
「でもね、わたしがさびしいのは……そんな大事な話をわたしに黙ってようとしたことなのよ?」
俺は、その時の蘭の本当に悲しげな瞳を一生忘れないと思う。
「なんでも話してよ…、相談してよ…、嘘とか絶対つかないでよ…」
心なしか蘭の握り締める手に力が入った気がした。
俺は心が動かされた。とても強く蘭に惹かれ、もっと近づきたいと感じてる。
言っちまおうか?今……。
全部、気持ちぶつけたら…蘭は…?
俺たちの何かが変わるのかな?
そう思った時、蘭が付け加えるように言った。
「幼なじみなんだからね……」
お、幼なじみ…………。
俺の決心は一瞬にして脆くも崩れ去った。落胆の色は隠せない。
言えねぇ。…まだ言えねぇよ。
しばらくすると「もうすぐ閉館」のアナウンスが流れはじめた。
「なんか今日のデートもこれでおしまいって感じね」
蘭が何気なくそう言った。
「…デ、デート?」
「あ……」
デートなんて言葉にさえ赤くなってしまう。俺たちはまだまだ子どもだった。
優作の待つ駐車場に戻り、帰路につくことになった。
優作は二人の様子にどこかホッとしたようで、にこやかに迎えてくれた。
「さ、帰ろうな。新一は帰ってから何か話があるんじゃないか?」
うわっ、鋭いっ!!俺はうろたえた。
「え…?う、うん、あるにはあるけど、どうして?」
「そうかそうか…」
意味深に笑う優作はそれ以上は何も言わなかった。
しばらくすると、蘭が俺の肩に頭を乗せて小さな寝息を立てはじめた。
俺はドキリとしながらも、すっかり疲れていたのか同じように眠ってしまった。
優作はバックミラー越しに肩を寄せ合って眠る二人を見た。
「新一も恋をする年頃になったわけだ……」
そんなつぶやきを、俺も蘭も全く知らずに、二人は二人の夢の中にいた。
横浜のイルミネーションも今日一日も遠ざかってゆく。車は都心へと走っていた──。
fin
[取材協力・ちょこ@新一粉砕担当、華さん@観光案内時代考証、みじゅ@はだけた新一推進委員会会長]──感謝をこめて。