キッチン

「全くーっ、新一のバカ!!」
 蘭は早足に文句を言いつつ歩いていた。
 学校帰り、あれこれと食料を買いこんで、新一の家へと向かっている。

 あの後──浴室での、そして玄関ホールでの情事が祟ったのか、新一の風邪は思いのほかひどくなった。二日間、高熱でうなされることになったのだ。
 一体その間、どれだけ心配したことか…。ホントに新一のバカ!!

 そして、これは三日目のこと。
 学校帰りに看病に寄るのを小五郎から許され、あの日から蘭はパジャマ持参で新一の家に泊まりこんでいた。
 だから、今日も泊るとしたら三泊目。
 蘭は、もう、わがもの顔で工藤邸に入っていった。
 「ただいま」なんて、すんなり言えてしまう。
「あ、おかえり」
 すると今日は、すっかり元気になった新一が、ひょいとリビングから顔を出した。
「あれ?新一?もう起きて大丈夫なの?」
 蘭は、急ぎ足でリビングに入る。
「うん、もうバッチリ」
 そう言うと、ちょっとおどけたふうに蘭を抱きしめた。
「色々、サンキュ」
 蘭は、少し赤くなって、持ってた鞄や買物した食料なんかを落としてしまう。
「ま…まだ熱あるんじゃないの?」
 照れたように手のひらを額に乗せる。
「もう大丈夫だって…」
 新一はそう言うと、自分の額を蘭の額にくっつけた。
「ホラな?」
 驚いた蘭はじっと新一を見つめ、次の瞬間「絶対キスされる」と確信した。…が、新一は、くちびるでなく頬にそっとくちづけた。
 どうして?と顔を覗きこむと、
「風邪、移るだろ?」
 そう言って、少し照れている。
 そう言うやさしさに、蘭はとても弱かった。
 だから。新一への愛しさが溢れて、わざとそのくちびるに熱烈なキスをした。
 驚いた新一は、ガラにもなく頬を真赤に染めている。

「お腹、空いてない?なんか作るね」
 キッチンに入って、買物袋から食料を出し始めた。
「あ、まだ病み上がりなんだから新一はそこに座ってて」
 そう言うとキッチンのフックに掛けてあったエプロンを取り出し、付けた。
 すっかり使い慣れたキッチン。くるくると蘭は動いた。
 新一は、ただそんな蘭を目で追うばかり。
「なに……?ボーっとそんなとこに突っ立ってないで……」
「エプロン………」
「え?」
「似合うよな」
「…何言ってんのよ。やっぱりまだ熱でもあるんじゃないの?」
 新一は、蘭を見つめつつ傍に近づいてくる。
 蘭は、どうにもイヤな予感がする。
 …あの浴室。そして玄関ホール。新一ってばいつでも無茶苦茶なんだから!!…もしかして、まさか…?
 少しばかり後ずさりして。
「…何?」
 ぎこちなく笑って見せる。
 その表情から蘭の考えを見破ったのか、新一は苦笑した。
「…バカ!!なーに警戒してんだよっ」
 それを聞いて、蘭は頬を染めた。
「ちょっとな、それ……」
 近づいてマジマジと見つめてるのはエプロンだった。
「あ…これ?このエプロンのこと?…ごめん、そこの戸棚の中にあったから…。勝手に使っちゃまずかった?」
「そっか、これ母さんのなんだ。道理でどっかで見たような気がしたんだ。それに……」
「それに?」
「なんか、違和感ないんだ。蘭がそこに…その場所にいることが…」
 蘭の胸が高鳴った。…なんかすごく新一の言葉がうれしい。なんでだろ?
 なんて答えていいのかわからない。だから、自然、手が料理の支度に入った。玉葱を取り出して皮を剥く。まな板を取り出す。玉葱を半分に切る。そして、意味もなくみじん切り……。
「なぁ、蘭」
「うん?」
 蘭は玉葱から目を離さない。




「俺の嫁さんになる?」




 蘭の包丁さばきは年季が入ってる。見事なまでの玉葱のみじん切りが出来あがっていく。
 トントントン…。包丁の音だけが規則正しく音を立てていた。
 それが止まって。…蘭が顔を上げた。


「………嘘」
 瞳が濡れている。
 …それってまさか玉葱のせいか?
「嘘でも冗談でもねーよっ」
「新一ぃ……」
 間違って蘭が目を両手で覆ったのを見て、新一は驚いた。
「お、おいっ、バカ!!」
 その手を掴んで、その弾みで蘭を抱きしめていた。
「やだ……涙、止まんないよ…」
「…ったりめーだろっ。そんな手で………」
「ホントだね、わたしったらバカ…」
 泣きながら笑う蘭。
「なぁ、もっかい聞くぞ?」
 新一は、真正面から蘭を見据えた。

「俺の嫁さんになってくれないか?」

 蘭は一つ、深呼吸をしたあと。
「…はい」
 笑顔で答えた。
 そして、新一は満足そうに叫んだ。
「よし、決まりだ。結婚するぞ──っ!!」
 キッチンに響き渡る新一の声。目の前の玉葱。奇妙な取り合わせに蘭はくすくすと笑った。

「ともかく、なんか作るね?」
 幸せな気分を抱いたまま、蘭はそれでも夕飯の準備に余念はなかった。
 なんだか物足りないのは新一の方で。
 キッチンに立つ蘭の後ろ姿に、不意に手が伸びてしまう。
 後ろから抱きしめて首筋にキスをした。
 たったそれだけなのに、蘭が悩ましげな声を洩らすものだから…。
 もう止まらない。
 「愛してる……」と耳元で囁く。
 そっと、手はエプロンの下のブラウスのボタンにかかり、胸を探る。
「新一…?」
 その時、吹き出した鍋。それに気を取られる。
「あ、鍋が……」
 新一は器用にもう一方の手でコンロの火を消す。
 そして、もう迷わず蘭をひょいと抱きかかえると、リビングのソファに横たわらせた。
「…やっぱり、こうなるのね?」
 まるで子供の悪戯を叱るような仕草で新一を見る蘭。
「…もう、限界」
 答える新一も駄々っ子のようで。
 ──ここから先は、また二人の世界がはじまる。


 高校生で受験生で、まだ先が全然見えない二人だけど、きっと二人だと幸せだよね?
 新一を受け入れながら、蘭は考えていた。
 熱烈に新一から愛される幸せ。・・・でも。それだけじゃないよね。わたしだって愛してる。熱烈に、新一のこと。
 だから満たされる。…この気持ち、今日は伝えたい。
 蘭は少し考えると、新一の体をゆっくりと反した。上に乗って新一を見下ろす。
「愛してるよ、新一…」
 笑顔を見せて、そうして蘭は、新一を包み込むように抱きしめた。


*****


 しばらくして。
 高校生の二人が、ウエディングベルを鳴らした。
 それは、雪がちらつく冬の日。クリスマスイブのことだった。

fin

*ハッピーハッピー!!意外に邪じゃない(?)キッチンでした。