もうひとつの始まり 宮幡尚美
夜の帳にすっぽりと覆われた町並みを、寡黙な賢者のような月が薄く照らしていた。
初夏の夜風を快く頬に受けながら,二人は急ぐ様子もなく正確に靴音を響かせて歩いて行く。
休日ではあったが仕事帰りと思われる会社員や、陽気な学生のグループとすれ違った。
夜道の中でも、何かしら人の気を引く雰囲気のある二人である。
道行く人の中にはこのカップルに、一瞬振り返ったりする者もいる。
二人は気にもしていない。
「結局、蘭の思う壷にはまったってことかしら?」
落ち着いた、それでいて涼やかな印象を与える声が、女性の朱唇からもれる。
「でも、あのお店も久しぶりだったし、食事も美味しかったからよかったわ」
「たしかに 蘭の奴、コナンと子供会のキャンプに行く時に、「この店で絶対食事しろ」なんて言うから来てみたら
おまえがいるんで驚いたぜ。」
女性の呟きのような言葉に、渋味を含んだ男の声が答える。
「あら 食事の相手が私じゃご不満だったかしら?」
「また そういうツンケンした物の言い方をするんじゃねえ。それより どうだ英理、上がってってコーヒーでも
飲んでかないか?」
二人は歩いている内に小五郎の自宅「毛利探偵事務所」の近くまで来ていたのだ。
「そうね、たまにはいいかもね。」
英理は少し考えた後で答えると、小五郎の後に続いて階段を上がっていった。
「本当に奇麗な月夜ね、この分だとキャンプも十分楽しめてるでしょうね。」
コーヒーカップを手に持って、窓辺に立ちながら英理はまた呟くように言った。
「おまえ、最近独り言の癖でも付いたのか? さっきからそういう言い方が多いぜ。」
「いけない? 一人の時が多いから、ついこんな会話になってしまうんだわ。」
「ふん、そういうものかね・・・」
小五郎はコーヒーの代わりにブランデーを飲んでいる。
グラスを傾けながら時折、窓辺の英理に短い視線を投げかけていた。
その視線に気付いたように小五郎の方に向き直ると、英理は珍しく世話女房風な言葉を口にした。
「あなた、何か摘まむものがいるでしょう? 冷蔵庫の中にないのかしら?」
英理は冷蔵庫の中にハムとチーズを見つけると、簡単に皿に盛った。
今日の 英理の服装は、仕事用のスーツとはまったく趣の違う淡い紫のワンピースだ。
今年風にラインが細く、サテンを思わせる布地の上に同色の透ける素材の布が重ねてある。
その上に 軽いジヤケットを羽織っているが、広い襟ぐりから見える胸元が艶めかしい。
「英理」
ハムの皿を受け取ると、突然、小五郎は英理の腕を強引に取り、両肘の裏側を持って壁に押さえつけた。
英理は身動きできない。
「ちょっと あなた! どういうつもり?!」
声をきつくして何とか逃れようとするが、小五郎の力にはかなわない。
「どういうって、ハムの礼だ。」
まだなにか言おうとしている英理の朱唇を、小五郎の唇がおおった。
小五郎の口髭が頬に触ってくすぐったい。
ほんの少し抵抗した後で、英理は諦めたように力を抜いてその接吻を受け入れていく。
顔を離すと小五郎は英理の首筋に唇をあてながら囁いた。
「ゆっくりしていけよ、別にいいだろ・・・?」
「・・・どうしたの? 近頃不自由してるの?」
英理の思わぬ言葉に小五郎は顔を上げてきっぱりと言った。
「バカヤロウ、俺がおまえ一筋だってよく分かってる筈じゃねえか?!」
「あら、 そう・・・・? 腕が痛いわ、離して頂戴。」
「・・・平手はごめんだぜ」
小五郎が押さえていたその腕の力を抜くと、 英理は悪戯っぽく目を輝かせ両方の手を挙げて小五郎の首に
巻き付けると、自分からもう一度くちづけを求めていった。
シャワーの雫が英理の全身に滴り落ちている。
肩から背中に落ちると、気持ちよく張った腰を通り、滑らかな腿の内側を滑って赤いペティギュアを施した
爪先へと落ちて行く。
その跡をたどるように、小五郎の手が緩やかに英理の肌の上をなぞっていく。
なめらかで寂し気な肌だ、と小五郎は思った。
そうすると小五郎は、いきなり腿の付け根の深い場所に指を滑り込ませた。
英理は苦しそうに顔をしかめて、小五郎の唇で覆われた口から微かにうめき声を漏らす。
シャワーの熱気と、小五郎の大胆な攻めに息が出来ないくらいだ。
顔を離すと小五郎の肩口に頭を乗せて懇願するように言う。
「お願い・・ここではもう・・・・外へ出ましょう。」
しっとりと湿り気を残した髪が、白いシーツの上に奇妙な弧を描いていた。
英理が右肩を下にして目を閉じ、横たわっている姿が月明かりに浮かび上がる。
少し肉が付いてきた感じの上腕や腿、しっかりとした腰、柔らかさを増した乳房に彼女の経てきた年月が
感じられるが、それがまた果汁のたっぷりと詰まった熟した果実を思い起こさせた。
あまりの静けさに英理は目を開いてみると、小五郎がベットの脇に立っているシルエットが月明かりの中に見える。
「なに?」
怪訝そうに身を起こしながら英理が尋ねる。
「いや・・おまえは変らずいい女だと思ってな。」
「どうしたの? あなたがそんな事言うナンテなんか変よ」
「ふん、人には意外な一面があるものさ」
「・・・じゃあ 私の意外な一面もほしい?・・・」
そういうと英理は小五郎の前に座り、充分たくましくなったその部分を丁寧に愛撫し始めた。
その部分は英理の手の中で躍動し、舌の先で息付いている。
その刺激に絶えられなくなると、小五郎は英理の上にのしかかるようにベットに倒れ込んだ。
小五郎の手は、この一時を惜しむかのように執拗に英理の全身を愛撫する。
唇はそれ自体が独立した生き物のとして、手とは別にあらゆる所を柔らかく刺激し、ついばむ。
耳の裏に熱い息を感じさせたかと思うと、耳を軽く噛み、首筋に幾つかの跡を残し、柔らかく盛り上がった乳房に
幼子のように吸い付く、その度に英理は切ないため息を漏らした。
シャワーの時に一度触れた奥深い部分に手を添えると、そこは小五郎を受け入れようとやさしく、そしてたっぷりと
湿っていた。
もう一度 思い切り指を差し込むと、柔らかな温かさが指先から全身に伝わってくる。
「あー、だめぇ・・・」
英理は言いながら背中をそらせる。 息遣いが荒い。
そのまま 小五郎は向きを変えると、英理の腿を両腕で抱きかかえるようにしながら唇での愛撫を加えて行く。
「あ・・あなたぁぁ」
英理は切な気に呻きながら、しなやかな指で呼応するように小五郎の部分を締め上げる。
細く開けた窓からは夜風が舞い込みカーテンを揺らす。
月の光が天空からこの営みを物も言わずに眺めている。
互いに上り詰めた所で、小五郎は英理の奥深くに自分を差込み激しく動かす。
英理のせり出された腰は、その動きに合わせ突き出され、小五郎を受け入れ包み込み、そして押し出しそうと
する。
ベットのきしむ音と唇から漏れる声にならない声が、静けさの中で部屋を満たす。
いつしか小五郎は頂点に達し、二人は辺りの静寂に同化したかのように身動きもせずに横たわっていた。
そっと起き上がって英理の腕を取ると小五郎が尋ねた。
「おい、大丈夫か? なんか随分・・・その」
「大丈夫よ、バカねぇ・・・。 私 帰るわ、シャワーまた使っていいでしょ?」
「・・・英理、、おまえ そろそろ帰ってきたらどうだ」
その言葉に、ベットの端に腰掛けていた英理は振り向きまじまじと小五郎を見る。
「なぜ? 夫婦はSEXだけってものじゃないでしょ?」
「そりゃ そうだが・・・おまえ誰か付き合ってる男がいるのか?」
「また、何を言うかと思ったら・・・・私は貞節なオンナよ」
「だったら 何故!?」
「・・・あなた もう少し時間が必要だわ・・・もう十年も経ったって言うかもしれない、でもその年月がまた
別の年月を必要とするようになってるのよ」
「ふん! また小難しい事を言いやがって・・・そういうとこが、可愛い気がないんだ」
「何とでも、兎に角、明日には仕事もあるし、帰らなくちゃ・・・」
衣類を抱えてバスルームに行こうとする英理の後ろから小五郎が声をかける。
「おい、またいつでも来れるんだろ?」
「あら? 蘭とコナンくんがいるの忘れたの? あなたが私の所にくればいいでしょ?」
「そうだな、そうするか・・・」
その言葉に英理は、片方の頬だけで微笑んでドアのノブに手をかける。
「アポはいるのか?」
「夜10時以降なら必要なしよ」
長い髪をタオルで包みながら英理がドア越しに答える。
小五郎は軽く苦笑して煙草をくわえると、窓辺で月を見上げた。
今日は十六夜、この月の光でいつかの若い日のように、互いを確かめる気持ちになったのかも知れない。
それともこれが、新しいひとつの始まりになるのか?
バスルームのドア越しに、水音にまじって歌う英理の声が聞こえてきた。
月は寡黙な賢者のように変らず天空から見下ろしている。
小五郎さんと英理さんの場合です。この中から、二人の微妙な心の葛藤とか愛情とか相手を求める気持ちとかが伝わったくれれば嬉しく思います。小五郎に抱かれた英理は満ち足りて、思わずバスルームで歌を口ずさみます。これはきっと二人の新しい出会いなのかも知れません。この後 二人はお互いをより必要とし、理解し、愛し合って行くのではないでしょうか。そんな事を望みながら書いてみました。【宮幡尚美】