LOVE 〜refrain〜 沢村璃緒
あれから、どれだけの夜が過ぎただろうか。
時々、ボーッと考えることがある。
例えば、それが悪の組織にいた頃のこととか。
もしくは体が縮んで、小学生として過ごしたときのことか。
全部が全部、ウソのように思えたりする。
そう、今のこの平和な時間でさえも。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
君は元気だろうか。
思い出すよ、今でも。以前、時折見せた、寂しそうな少女のまなざしの君は、もういない。
今は、一児の母となり愛する人と、笑顔を絶やすことなく暮らしているだろう。
それが君の幸せと思いつつも、どこかでその幸せを壊してしまいたくなる自分・・そんな自分が憎い。
しかし、今は言えるだろう、一度も思いを伝えることなく会わなくなった、ボクの天使・・毛利蘭に。
君が幸せそうで、本当に良かった・・と。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「じゃ、よろしく頼んだよ、宮野くん」
「はい」
「そういえば、見たよ。君の新薬のレポート」
「それでは・・」
「しかし、もう、似たような薬は山のようにある。まぁ営業の君が、そうムキになって薬の開発まですることもなかろう」
「ですが・・」
「とにかく、行ってきたまえ。早くしないと、Y製薬に先をこされてしまうよ。なるべく大きな大学病院だ。分かったな」
宮野志保。
以前は、黒の組織で薬の開発までしていたが、実態を知り自らが発明した新薬で体を縮ませ、沢山の仲間とともに黒の組織を抹殺させ、今は製薬会社に勤めるOL。
何故か、新薬開発部に配属されていたが、上司がミスを志保に押しつけ、言い訳のキライな志保は、彼女が最も苦手そうな営業という部署に配属されてしまったのである。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「はい、いいですよ。お大事に」
「先生、午前の診察は、これで終わりです。お疲れ様でした。それから、今日は、医師会の方で定例会がありますけれど」
「ああ、すっかり忘れていました。ありがとう。確か、今日の7時からでしたね」
新出智明。
新出医院の院長をしている。普段の外来の仕事だけでも多忙だが、近所の往診もしている周囲では評判の彼。
彼は、忙しさの中で、何かを求めていた。それが何かは分からないが――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「で、君はこの新薬が、他の製薬会社と比べてどういう利点が?」
「ええ、副作用はほとんどありません。飲みやすく、すぐに効き作用時間も長くて・・」
「分かったよ。ではぜひ君の会社の薬を使うとしてみようか」
「ありがとうございます」
「じゃ、今日は、医師会の定例会がある。プラザホテルで。その後食事でもどうかい?」
「食事・・ですか?」
志保はピンとくる。先輩からも言われていたし、まぁ、この業界では常識といったところか。
「・・イヤなら君のとこと取引しなくてもいいのだが」
「分かりました。プラザホテルですね」
「そうだ、夕食はルームサービスをとることにしよう。直接部屋にきたまえ」
「かしこまりました」
はじめて取引成立した。そう、こんなことから幸せは崩れ落ちるのだろう・・そう考えながら。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(えっと、場所はここだな・・)
智明は、医師会の定例会のある会場・プラザホテルに着くと、あたりを見渡す。そして、定例会の会場の部屋を探し始める。
「すいません、どなたかお医者様はいらっしゃいませんか?」
ホテルの従業員だろう。その声の場所へ智明は向かう。
「私は医師ですが、どうなさいました?」
「あ、良かった・・実は、この女性がそこで倒れたんですが・・多分貧血かと・・」
「大丈夫ですか?」
智明は、その倒れている茶髪のスーツ姿の女性を見て、何かのひっかかりを感じる。
(どこかで見たことあるような・・この子は・・)
「とりあえず、医務室に運びましょう。診察はこれからです」
智明は倒れている女性・・志保を抱き上げて医務室に運んだ。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(いけない・・私、いつのまにか眠っていたのね・・それより・・大変な仕事が残っているじゃない。今日、米花病院のドクターと約束があるのに・・)
「気がつきましたか?」
横から聞こえる声に、志保ははっとする。
「・・・あ・・あなたは・・」
名前と姿だけは分かっていた。小さかったころ・・まだ自分が哀の時に、彼とは何度か顔を合わせていたから。
「・・貧血でしょうね。ここのホテルのロビーで倒れたんですよ」
「・・・貧血なんかじゃないわ」
そう、アポトキシンの解毒剤の完成品を飲んでから、時々立ちくらみのように、くらくらすることがある。
工藤新一は、そんなことないらしいが、女性は男性と比べ月に数日間は体の鉄分が失われやすい、そして個人差もある。
女性だけの・・志保だけの副作用なのかもしれない。
「とにかく、何の用があってここに来たのかわからないが、家に帰って休んだほうがいい」
「そんなヒマないわ・・もう、こんな時間だもの。先生は、定例会はいいの?もう終わってしまう時間じゃない」
「どうしてそんなこと、君が・・」
思わず言ってしまった、自分の言葉にはっとする。
彼は、一言も言ってない。自分が、医師であることも、そのために医師会の定例会にきていたことも。
「・・・私、これでも製薬会社の営業しているから、よく分かってるの。この地区の医師会のことはすべて」
「なるほど」
「今日は、約束があるの。だから、行かなくちゃ」
「そんなムリしたって、ろくなことない。とにかく帰ったほうが・・」
「ほっといてくださる?そこまで言われる義務はないわ。いくら貴方が医師とは言え」
そう言って、哀は、立ちあがろうとする・・が、またくらっと目が回りそうになる。
「ホラ、言ってるそばから・・」
「大丈夫よ、本当に。よくあることだから・・薬飲めばなんとか・・」
志保は、自分で開発した薬をバックから取り出す。
「じゃ、どうもありがとうございました」
そう言って、その場を立ち去る。心配そうな、医師を背に。
(・・正義感が強いところは、変わってないのね。新出先生・・私の一番苦手なタイプかもね・・本当の善人って・・)
志保が、医務室から出ると、そこには待ちくたびれたかのように、ウロウロと志保を探すドクターの姿があった。
「すいません。遅くなりました」
「宮野くん、何してたんだね。心配したよ。いつになってもこないから」
「申し訳ありません。実は・・」
「医局長、お久しぶりです」
志保の言葉をさえぎるかのように、智明が話しに割りこんできた。
(確か、この医局長は・・)
智明は、父親が医者、母親そして義理の母が看護婦だったので、地域の病院の職員だったら、大抵はどんな人物かくらい分かる。
「・・確か、君は・・」
「はい。新出です。以前は、父と、母、そして義母もお世話になっていました」
「新出医院が今は、新出くんの息子とやらが後継ぎだとは聞いていたが・・」
「それより、医局長、よろしいんですか?こんな所で女性の腕なんか掴んでいて、何の用でしょう」
「そっ・・それは・・」
「宮野さんが困ってらっしゃるでしょう」
「ちょ・・ちょっと何言ってるの?私、そんなことなんて・・・」
(この人、一体何を言い出す気?これじゃ、せっかくの取引が・・)
「もういい、宮野くん、君がこの男性と一緒になって、私をバカにしたってことだな」
「先生!」
「君のところの取引はなしにしてもらおう。それに、新出くん、君のこともよく覚えておこう」
「ええ、お見知りおきを――」
焦る志保。そして、にっこり笑う智明。
二人は対照的な表情で、ドクターを見送る。
パシン!!
次の瞬間、志保を思わず、智明の頬を平手打ちする。
「何てことしてくれたのよ!あなたのせいで・・・あなたがよけいなことしてくれたせいで、私の仕事、めちゃくちゃよ。せっかく、初めてとれるかもしれなかった仕事なのに!」
「・・こんなことしてまで仕事とろうとするのが、君のやり方なのかい?」
そして、智明は、ドクターが怒って放り投げた部屋の鍵をちらつかせる。
「君、S製薬会社に勤務だって言ってたよね」
「そうよ。それがどうしたっていうの?」
「あの医師は、どこの科か、わかっているのかい?」
「そんなの、内科に決まってるじゃない。そんなことも分からないで営業するほどバカじゃないわ」
「残念だけど、あのドクターは、今年からホスピスで勤務が決定されているよ。それも従業員が知らないってことは、君の会社何かおかしいとおもわないかい?」
「何が言いたいのよ・・」
「今の会社、辞めたほうが賢明だと思ってね。君が貧血起こして倒れている間に、悪いかと思ったけれど、その手にしているレポート、見せてもらったよ。こんなに素晴らしい薬を、たった一人で開発できる君が、こんな会社にいるなんて、もったいない。君には、もっと大きな所で・・」
「分かったようなこと言わないで・・私は・・平凡な生活をしていたいだけなのよ・・」
本当は、ホッとしていた。
もしかしたら、本当に契約のために、自分の体がどうかされてしまうかもしれなかった。
だから本当は、うれしかった。
今日知り合ったばかりの自分を助けてくれた彼を。
だけど、素直になれない。変わらない、この性格は、体が小さくなった哀のころから、ずっと――。
「大嫌いよ、あなたみたいな善人ヅラしている人なんて・・」
志保は素直になれずに、さらに智明にそう告げる。
だけど、それは、本心であって本心じゃない。
善人・・そう、この人は、善人ヅラなんてしてない、本当に心から純粋でキレイな心の持ち主だと思う。
できるなら、自分だってそうなりたい。でも、そうなれないような環境で育ってしまったからこそ、苦手だった。
彼のような、心からの善人は。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そして、次の日。
志保は前日の医局長の取引が成立しないのと、もともと営業向きじゃない性格のため、相変わらずの営業成績のワースト1。
机の中にしまってある、退職届。平凡な日常が、そうでなくなった時に、いつでも出せるようにずっとしまっておいた。
そして、その退職届を手にした時、ふと何かが音をたてて、床に落ちる。
「・・何かしら・・あ・・これ・・」
捨てるに捨てられなかったもの。
そう、それを持っていたのは哀だった時のこと。
もう、組織の目も気にしなくてもよくなり、堂々と自分が無事発明に成功したアポトキシンの解毒剤が完成したときのことだった。
「どうしてですか?コナンくんは、アメリカの両親の所に帰るってついこの前いなくなってしまったのに」
「そうよ・・そのうえ、灰原さんまで転校だなんて」
「もしかして、誰かにいじめられたのか?だったらオレがぶんなぐってやるよ」
「・・ごめんなさい・・仕方ないの。それにいじめられてなんていないわ。両親の仕事が、やっと一段落して、家族で一緒に暮らすことになったから・・ここの学校はあまりにも遠すぎて、通えないだけよ」
そして、歩美は、哀に探偵団バッチを渡す。
「これ・・」
「聞きましたよ、灰原さん。もう、一緒にはいられないからって、博士に返したんですね?」
「一緒にいられなくても、灰原さんは、ずっと私たちの仲間だよ」
「だから、灰原が持ってろよ!いじめられたときは、いつでもこれで連絡しろよな。助けてやるぜ」
「・・・・・ありがとう」
よく考えたら、今なんかよりも、ずっと哀の時の方が、平凡だった?
博士・・優しい保護者。
少年探偵団・・いつも一緒にいた友達。
私は、普通の小学生として、保護者と生活し、友達と学校生活を送って・・見ず知らずの人がいたら、その時ほど人生生きていて平凡で、平和で、安らいだ時間はなかったんじゃないかしら・・?
「ばかね・・哀に戻りたいなんて、ムシがよすぎるのよ」
私はどこへ行ったらいい?
そして、たった一人でこれからどんな道を歩めばいいのかしら?
そんなことを考えたら、気が遠くなった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「新出先生、ありがとうございます」
「はい、お大事に」
智明は往診を終え、ふと遠回りしてみる。
夕方の仕事も何もない暇な時、ふと堤無津川のほとりを歩いてみたくなる。夕焼けのオレンジ色が、川に反射されてキレイなのだ。
「もう夕食よ、帰りましょう」
「はーい、ママ」
「また遊ぼうね!」
「うん!」
遊んでいる子供達と、迎えにきた母親のやりとりを智明は「自分もこんなことがあったな・・」そう思い出す。
「・・?」
みんなが帰り、しーんとした川辺に、人影が一つあることに気付く。
「・・あれ、君は昨日の・・」
ぼそっと声をかけたのに、返答がない。まずかったかな・・そう思い、声をかけようか、かけないか、しばし迷う。
そんな自分に何やっているんだ・・と智明は思いながらも、たとたどしく彼女の名前を思い出す。
「えっと・・そうだ、宮野志保さん」
そう智明がしどろもどろに話しかけると、志保はおどろいたように、声の聞こえるほうへと、ふりかえる。
「・・・・あなた・・昨日の・・」
「覚えてくれてたんだ、嬉しいね」
「何してるのよ、こんなところで」
「今日みたいな日に、往診へ行った時は、決まって、ここを通るんです。ほら、夕焼けが川に反射されてきれい・・あ」
そう言った時にはもう、すでに夕焼けなんて空の色ではなく、もう、薄暗くなっていた。
智明が、さっき、志保に話し掛けようと悩んでいたたときの時間の長さがうかがえる。
そんな智明の言葉と、言った後の慌てる姿に、志保は思わず笑い出す。
「あなたって、可笑しい人ね・・」
そう言ってもなお笑う志保。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないか・・でも、笑っているほうが、いいね、あなたは。この笑顔だけでも充分な薬だね」
「え・・」
「あなたに、昨日言ってしまった失言、ずっと気にしていました。あなたのためを思ったから、忠告したかったんです。あなたの会社のヘンなところも、あなたが体をはってでも、契約を成立させたかったことも・・」
「そのことはもう・・」
「でも、あなたは言ってましたね、ただ、普通の生活をしたいだけだって・・」
「ええ、言ったわ・・普通の生活をしてるあなたには、わからないでしょうけれど・・」
「そんなことないですよ・・私なんか。実際、周囲からは、今どき往診もして、医院の仕事ぶりも優秀な医師なんて言われてても、汚点の方が周囲の噂は好むんですから。父親に殺された母。そして、その母の死を許せずに、父を殺した義母は、今も服役中です・・でも、私は、父も母も、義母も好きですから・・そんな両親を悪く言う周囲に、心の中では、憎しみを持っているんですよ。そう考える自分が、数倍憎くなります」
「・・そう・・そんなことが・・」
「だけど、もっと憎いのは・・以前愛していた女性・・結婚してしまったんですけれどね、その彼女の幸せを願いながらも、心のどこかで幸せが崩れてしまえばいいのに・・そう考えている自分です」
「・・・好きな女性がいたのね・・でも・・私と同じかも・・」
「同じ・・?」
「私も、両親や家族・・死んでしまったわ・・そして、好きな人がいたわ。初恋だったの・・最初は好きってこと、認めたくなかった。だけど、やっと好きって気付いたときは・・その彼と、彼の好きな女性の間に入る隙が微塵もないって、同時に気付かされたの。だけど、それでもやっぱり願っていたわ・・もしかしたら、彼は私を選んでくれるんじゃないかしら・・って。おかしいわね、今もよ・・彼、結婚しているのに」
「・・まいったな・・こんなところで、君と意見が合うなんて」
「あら、失礼な言い方ね。これじゃ私と同じ考えがいやだと言ってるみたい」
「そんなことないですよ。こんな美人つかまえて」
「本当にあなたってヘンな人ね・・」
それから、どれだけの時間、会話をしただろうか。
冷静になって思い出すと、志保も智明も、どんな話しをしたか、思い出せないでいた。ただ、思い出せるのが、なぜか安心できる場所だということに・・。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
お互いの、ひと昔前の叶わぬ恋のせつなさを、なぐさめあいたかっただけなのだろうか。
家族が不幸な出来事でいなくなってしまった同じような境遇を、わかちあいたかっただけなのだろうか。
そんな理由はともかく、なぜかお互い、たびたび会う回数が増えた。
最初は、智明から。
「いい製薬会社の情報が見つかった」・・そう言われ、二人で志保の再就職について話し合ってみたり。
次は志保から。
「就職先を教えてくれているお礼に」・・と食事を作りに、自宅に行ってみたり
そして、ある日・・二人にとって、一番気になる存在の人物が新出邸に来ることになる。
「ご馳走様でした」
「別にお礼なんていいわよ・・せっかくこの前探してくれた会社だけど・・ムリみたいだわ」
「そうか・・それは残念・・」
そんな会話をしていた時、電話の音が聞こえる。
「はい、新出です・・あ・・蘭さんですか・・ええ、久しぶりです・」
一人の女性の名前で、二人は急に強く反応する。
「申し訳ないけど、今から急患が一人くることになって・・以前、父が殺された時にお世話になった探偵の娘さんの子供で・・」
「毛利さん?」
「あ、知ってるの?」
「そりゃ・・ここらへんじゃ有名な探偵だもの・・」
「・・で、今から手伝ってほしいんだ・・ひきつけをおこしたんだが・・様子がヘンらしい」
「そう・・」
そう話しているうちに、やってくる。
子供を抱きかかえ、心配そうな表情の蘭。その後に、車をとめてきたのか、ちょっと遅れて同じく心配顔の新一。
「先生・・ひきつけおこして・・でも、呼吸が・・」
「分かりました。志保さん、酸素を・・」
「はい」
「灰ば・・いや、宮野・・どうしてこんなところに・・」
「理由はあとよ」
志保の手が震える。何、動揺しているんだろう・・今は、自分のことよりも、小さな命のことを考えることが先決なのに・・。
「あとは、ダイアップ・・4ミリ、薬品棚の2列目に入ってるから、持ってきて」
「はい」
志保は、指示された薬品を智明に渡す・・その時、智明の手も震えていた。
そっか・・そうなのか・・志保はなんとなくその理由がわかってしまって、自然と手の震えがとまる。
「もう大丈夫です。でも、念のために大きな病院に行って、検査をした方がいいですね。紹介状書くから、待っててください」
智明の言葉に、蘭はほっとしたのか、子供を抱きかかえ、車にのせにいく。
そして、紹介状を受け取るため待っていた新一と、何もすることのなくなった志保が、話す時間は充分にあった。
「・・でも驚いたぜ。まさか、お前がここにいるとはな」
「ま・・ね。製薬会社に勤めていると、いろんな医師とは顔見知りになるものよ」
「そっか・・でも、元気そうでよかったぜ」
「ありがと。工藤くんも、元気そうでよかったわ」
「それよりも、時々、顔見せに行ってやれよ。博士・・前よりも老けたぜ、急激に。お前がいなくなって寂しくなったんじゃねーか。ま、年とったのもあるけど・・。博士、心配してるはずだぜ、お前のこと」
「工藤さん、紹介状、書けましたよ」
「あ、すいません。じゃ、またな」
「・・・」
(ばかね・・またって・・いつのこと言ってるのよ・・もう会うことなんてないのに)
「顔見知り・・かな。君と工藤さんは」
「・・ええ。ちょっとした・・」
「例の彼じゃないですか?初恋の・・」
「そういうあなたこそ、工藤さんの奥さん・・前言ってた女性じゃないのかしら?」
「・・まいりました・・バレましたね」
「当たり前よ、電話で彼女からだと分かったとき、ヘンに動揺していたし、処置中も手が震えていたわ」
そして、また、震えがとまった志保の手がふるえだす。
「男の人って、みんな、工藤さんの奥さん・・蘭さんみたいな人がいいのよ・・」
「志保さん?」
「そうよね、所詮、私なんて・・」
(違う・・こんなこと言うつもりじゃないのに・・)
志保は、何故か動揺が隠しきれない。自分で言うつもりのないことが口からこぼれおちる。
「志保!」
智明が、志保の震える手をつかみ、強く志保の名前を口にする。
はっとする志保。
「・・言ったじゃないか。君の笑顔だけでも、充分な薬になるって・・」
そう言って、智明は志保を抱き締める。
「それって・・どんな薬なのよ・・」
「惚れ薬・・かな・・僕が君にどんどん惹かれていってしまう・・」
「・・ばか・・」
志保は泣き笑いする。
「そう、そんな笑顔が君には似合ってるよ・・」
そして二人、どちらともなく目をとじる。唇を重ね合わせる・・そっと・・そして強く。
「部屋・・行こうか・・」
そんな智明の言葉に、志保は返事をしない。でも、しぐさで分かる。必死で智明にしがみつく志保。
そんな志保に、智明は愛しさを感じずにはいられない。
智明が志保の肌に触れるたび、素直に彼女が反応する。普段の彼女とは、まったく違う一面。
そして、そんな志保の姿をもっと見たくて、いつもの優しい智明は、少し強引に志保を求める。
(彼は、私のこと、本当に好きなの?)
そう心の中でよぎったものの、今は、そんなことより、目先の・・今の快感を味わいたい・・。
強く、強く智明を感じたい・・志保は智明とともに快楽の世界へと足を踏み入れた。
ぼーとしながら、志保は智明の腕の中にいた。
「・・・ごめんなさい、私、帰るわ」
智明の腕をふりほどき、その場から立ち去ろうとする志保。
さっきの智明との出来事は、幸福で暖かくて・・だけど、何か怖かった。
だから逃げたかった。しかし、そんな志保を智明は止める。
「悪いんだけど・・おなかすいたな。さっき作ってくれた・・肉じゃか・・あったよね。温めてくれないかな」
「・・は?」
智明の予想もしない言葉に志保は何と言って言葉を返していいか分からずに、とりあえず服を着替え、台所に向かった。
(一体、何考えてるのよ、こんな時に食事の用意しろなんて・・さっきのことは、彼にとって、何とでもないことだったのかしら・・?)
いろんなことを考えていると智明が台所にやってくる。
「ありがとう、じゃ、頂きます」
そう言って、無言で食べ始める智明。
(本当に、何考えてるんだか、さっぱり分からないわ・・ヘンな人・・)
「おかわり、いいかな」
「いいけど・・」
「おいしいよ、君も食べればいいのに」
「いいわよ、別に・・」
「今日だけじゃなくて、これからもずっと食べていきたいんだけど、きみの作る食事を・・」
「え?」
「僕は、正しいと思ったことを貫きとうそうとしてしまい、後先考えずに突っ走ってしまうことがある。だからこそ、君のように冷静に物事を見られる人が必要なんだと思う」
「・・・・私は・・いつも冷静なんかじゃないわ・・そんなクールな人間じゃないわ」
「・・君は、たくさん傷ついたよ。だからこそその分、君を幸せにしたいと思う・・けど、それは約束はできない」
「・・・何なのよ・・何が言いたいのよ・・」
「君のこと、幸せにするんじゃなくて、二人で幸せになるんじゃ、イヤかい?」
「それって・・」
「君は僕のこと・・どう思っている?」
「あなたの気持ち、聞いてないのに、私から言う筋合いはないわ・・言ったでしょう?私は、あなたみたいな善人は苦手だって・・」
真赤になりながら、皮肉を言っても、智明には通用しない。
そんな智明は、にっこり笑って志保を抱き締める。
「・・僕の医院で薬剤師を一人募集しているんだけど・・住みこみで、無期限なんだけど・・どうかい?」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
それから半年後。
小さな教会で、一組のカップルの式がとりおこなわれた。
その式で、智明は志保にささやかなプレゼントを2つする。
一つは・・。
「おねーさん、おめでとー」
「おねーさん、結婚おめでとうございます!」
「すごくキレイ!私も早くおよめさんになりたい!」
「あなたたち・・」
教会のドアの前で、入場しようとするのを一人で待っている時だった。
志保のベールを持つという子供が三人、口々に喜びの声をあげる。
「おねーさん、博士の親戚の人なんでしょう?」
「ぼくたち、おねーさんに似ている友達がいるんだ」
「だから、すごく嬉しいんだぜ」
元太に光彦、歩美たちは、哀を思い出しているのだろう。なんだか無邪気にはしゃいでいる三人が懐かしい。
「もし、何かあったら、ご依頼を!」
「僕たち、少年探偵団なんですよ」
「あー、その目、何だかおれたちを信用してないみたいだせ」
変わらない三人に、志保はくすっと笑う。
「ありがとう・・じゃ今度、おねーさんのこと、仲間に入れてくれるかしら?」
「本当?おーねーさんだったら、大歓迎だよ」
「なんだか、灰原さんが戻ってきてくれたみたいですよね」
「じゃ、うな重作ってくれよな!」
「ありがと・・」
志保は思わず懐かしさと優しさに涙が零れ落ちる。
「ホラホラ、こんなにキレイな花嫁さんを泣かしてしまったらいかんじゃろ」
「博士!」
「違いますよ、いじめてなんかいないですよ」
「そーだよ、オレたち、いじめてなんか・・」
「博士・・どうして・・」
そう、智明の二つ目のプレゼント。
「君の生涯の伴侶に頼まれてな・・君の伴侶が、新一くんに聞いたらしいんだ、君の父親役にふさわしいのは誰かって・・そしたら、ワシのこと、指名してくれてな・・」
「博士・・私・・」
「こんなワシなんかじゃ、美しくなってしまった志保くんには、役不足じゃろ」
「そんなこと・・ない・・ありがとう・・博士・・ううん・・お父さん・・・」
「何言っとるんじゃ・・」
久しぶりの、同居人との会話が、涙にかわる。
「あ、博士、いけないですよ、おねーさん泣かしちゃ」
「おねーさんも、いけないんだ、博士泣かしちゃって」
「二人とも、泣き虫だなー」
心からの友達に、優しい保護者・・志保は、以前の平凡で幸せな時間を取り戻す。
そして、今は前よりも違う。招待客の中にいる、自分の初恋の人。その人のことは、完全にふっきれ、この幸せを祝福してくれることが、嬉しい。そして隣にいる、その人の妻とは本当にこれからも幸せであってほしいと思う。
そして志保は一歩ずつ歩きだす・・愛する人のもとへ。
―――おまけ―――
「しかし、驚いたぜ。まさかお前と新出先生が結婚するなんてな」
「あら、失礼ね、工藤くん。私、彼の医院、薬剤師として手伝うことになったから・・いつでも来ていただいていいわよ、新種の薬開発して待ってるわ」
「おいおい、灰原、お前・・」
「冗談よ、それより、ありがとう、あなたのおかげで・・博士とバージンロード歩けたわ。感謝してる・・」
そして、志保は歩き出す・・沢山の幸せを手に・・。