*「卒業」の番外編です。
いつかのメリークリスマス
ほんの数日休みを取って、新一はハワイの別荘へ来ていた。もちろん一人で。
ちょうどクリスマスを前に観光客でごった返すオアフ島だったが、別荘は賑わうワイキキとは正反対に位置していたから、非常に閑静だ。ここで静かにクリスマスを過ごすつもりだった。落ちつける場所を探して、ここにたどりついたといってもいい。
推理小説を読みふけり、一人分の食事を用意し、木陰で昼寝。暢気に過ごす一日も悪くない。そして、少し車を走らせるとビーチに出る。ワイキキとは違い、ここは閑散としている。たまに見かけるのは、サーファー達だ。ここの波は彼らの憧れらしい。
時間を持て余すことなどない。そう、一人は自由で、気楽。多忙過ぎる日々から脱出して来たから尚更一人が落ちついた。
だけど………。
イブがやってきた。
推理小説を読んでも、波を見つめても、食事の支度をしていても、思い出ばかりがよぎって、ふと「さびしさ」を感じた。
……蘭を想う。
クリスマスの思い出を探る。
***
シルバーリングをプレゼントしたのは、19のときだった。
うれしそうな蘭の顔に、しあわせを感じて、それはずっと続くものだと思っていた。
きらびやなか通りを肩を寄せて歩いた。何度も蘭は、薬指のそれを眺めては微笑む。
偶然通りかかった宝石店のウィンドウに、ふと立ち止まる。すでにシルバーリングはそこにあるのに、蘭はじっと一つの指輪を見る。一際輝いて見えるエメラルド。それは蘭の誕生石でもあった。
「これのがよかった?」
指差して聞いてみたら、蘭は自分の手をそっと上げて言う。
「ううん、これがいいっ。ただ、とっても綺麗な石だったからね…」
新一は、当然それがどんな石なのかを頭にインプットした。今は無理でもいつか必ず蘭に買ってやろうと、すでに心に決めていた。
(その時はそれプロポーズになるんだろうな)と考えたら少し照れる。そして固まってしまった。
「どうしたの?」
蘭が顔を覗きこんで更に顔が赤くなる。
「なんでもねーよっ」
誤魔化して、また蘭の肩を抱いた。もう一度だけそのエメラルドに振り返って、思わずそれにウィンクしながら──。
***
人ごみをずっと避けていた。誰にも会いたくない。それでここを選んだのに。
車を出して向かったのは、アラモアナショッピングセンター。クリスマスプレゼントのための買い物客でごった返していた。
何故だか、あのエメラルドに出会えたら、そうしたら………。少し夢見ていたのかもしれない。
宝石店のショーウィンドウを眺める。今なら手が出るエメラルドはたくさんあった。けれど、あの時見たあの輝きと同じ輝きを持つエメラルドはここには見当たらなかった。
「プレゼントですか?」
当然のように日本語で話しかける店員。
「いえ……」
言葉を濁し店を出た。
また別の店に入る。
ようやく似たような石を見つけ、それを手に入れた。
ただ、やはりどこか納得出来ないでいた。なぜだかわからない。
帰り道。遠回りをしてハナウマ・ベイを訪れた。
この海の色が少しだけ先ほどの石に似ていたかもしれないと思ったからだ。
車を降りて、高い丘の上からその海を眺めた。
同じように車を降りてそれを眺めるカップルがいた。
「うゎ――っ、すっごーい綺麗!!」
女性が声を上げている。
「うわっ。すげーなっ」
男性も目を細めて感激している。
だけど新一は………。
あの海より綺麗な海なんてないんだな。…心でそうつぶやいていた。
そして、わかった。先ほどのエメラルドに足りないものを。
「蘭……」
声にすると心が軋んだ。ポケットの中のエメラルドを探った。
これを投げ捨てたい衝動に駆られながらも、それをするほど潔くもない。
このエメラルドが本当の輝きを見せてくれるのは、蘭の薬指しかない…。
この気持ちをまだ捨てられなかった。
捨てたくはなかった。
目を閉じてあの海を思い出す。
そこにあったしあわせを見る。
『いつか、結婚しよう。この夕陽を指輪に替えて、蘭にプレゼントするよ。ホラ、手を出して。』
夕陽に染まる蘭の大粒の涙…。
波の音は静かに。あの日の自分を思い起こさせる。
風はあたたかく包み込む。目を開けると空は高く果てしない。
振り返ると大きな虹が見えた……。
何もかもが自分にやさしすぎるから、新一はその場に崩れ落ちた。
もう守るものなんて見つけられない、何ひとつ……。
立ちあがることが、出来なかった。
fin
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