午後の誘惑 遠野りえ

 

 日曜の昼下がり。

 蘭は部屋にひとり、何をするでもなく時間を持て余していた。

 小五郎は仕事の依頼で朝から出かけている。どうやら遅くなるとつい先ほど連絡が入り、夕飯はコナンと

二人になりそうだ。

 コナンはというといつもの探偵団の面々に無理やり引きずられるように連れて行かれた。コナンの目は

助けを求めるように蘭を見つめていた。それは単に探偵団の付き合いに閉口しているだけとは思えないような

熱いまなざしに感じた。

 気のせい?

 気のせいに決まってる。だって、コナンは小学1年生。子供だから。子供なんだから。

 それは今日にはじまったことではない。時々感じるその視線は子供のそれとは違う気がしていた。

 新一によく似ているせいだろうか。幼い頃の新一にうりふたつ。更に推理力といい、時々現れる大人顔負けの

もの言い。コナンの眼鏡の向こうに新一の面影を追っているから、だからこんな妙な考えにとらわれ、

それにドキドキしているのだろう。

 そう。ドキドキしていた。7才のその少年に。

 

 そんなわけのわからないコナンへの思いをはぐらかそうと、新一との写真を探してみた。ほんの数ヶ月前に

撮った二人の写真を取り出してみる。幼なじみでいつも隣にいたはずなのに、いっしょに撮った写真はなんて

少ないのだろう。学校の文化祭でたまたまふざけて撮ったその写真は、蘭が新一に腕を絡ませて写っている。

これは蘭のいたずら心からこうなった。横で笑う彼の笑顔はどこかぎこちなく、微かに頬は赤く染まっていた。

 どこからともなく、その日の友人たちの笑い声やからかうような、うらやむような声が聞こえてくるような気がした。

 たった一枚の写真がひとりでに動き出す。

 

 しかし勿論それは幻に過ぎない。今はどこにいるのか、時々電話で話してもやはりそばにいないという

不安は拭えなかった。

 『だけど・・・。』

 いつもいつも新一を思い出すたびにここで立ち止まる。

 新一の気持ちを確かめたことはなかった。そして自分の気持ちを伝えたことも。何よりも離れてみてはじめて、

自分のなかで新一がいかに大きな存在だったかに気づいた。

 

 写真を見つめながらその時の新一の腕のたくましさを思い出していた。

 滅多に触れることのなかったその手の大きさに驚いた日もあった。

 そして近づいたときの汗の匂いが、「男としての」新一を意識させた。

 勿論、そのくちびるに触れたことなど一度もない。

 そんなことを考えながら、ふと自分がとんでもない妄想をはじめているのに気づく。

 そのくちびる、たくましい腕、匂い・・・。

 胸が高鳴り、妄想が止まらなくなっている。

 

 ベッドの傍らに腰掛け、そばに新一の姿を思い描いてみる。・・・そして目を閉じた。

 

 もし、この指が彼のくちびるなら。

 そっと自分のくちびるにその指を近づけてみる。

 目を閉じたまま、そっとそっと・・・。触れるか触れないか微妙な線で新一の匂いをもう一度思い出してみる。

 切なさに胸が痛くなりながら、そのままベッドに倒れこむ。カーテンの隙間からの陽射しが目に痛い。

 だけど、もう新一に押え込まれ身動きできないでいる。

 光のなかで新一に・・・。幻の新一に抱かれようとしている。

 

 もう一方の手が彼の腕なら。

 その腕が自分を求めてくれるならと夢心地になる。Tシャツの裾の方からそっと自分の胸に触れてみる。

 新一なら、と。

 ブラジャーのホックをはずし、その右手を滑り込ませる。すでに敏感になっている乳首に触れる。怖々と、

少しずつ。

 そして、くちびると化した左手も今度は胸に吸いついてくる。その舌は突出した部分に絡みつく。執拗に刺激を

楽しむそのくちびる。

 微かな快楽に目をかたく閉じ、声にもため息にも取れるが全く別の自分のそれに驚きながら。

 

 右手は更に進もうとしている。

 触れられることを恥ずかしがっている場所に敢えて到達することを意識し胸が高鳴っている。

だけど触れるのはこの右手ではなく、彼の右手だ。

 彼の右手は決して強引ではなく、やさしく滑るようにゆっくりと蘭の下半身へと進んでいく。

 彼のくちびると化した左手も動きを止めずに、時々強くその乳首をついばむ。それに気を取られている隙に

右手はついに蘭の恥ずかしがる部分を捉えていた。

 その部分は、いつのまに潤い、従順に彼を受け入れようとしていた。

 快楽を欲しがっているのは新一?それとも自分なのか区別がつかなくなる。

 いや、まぎれもなく不純な自分を垣間見て自己嫌悪に陥る。こんな自分を知ったとき新一はどう思うだろう。

恥ずかしい。きっと軽蔑される。

 そんな中でも止まらない快楽への欲望が走り出している。

 この指は新一の指。

 ここにあるのは新一の息遣い。

 そして新一の欲望。

 

 幻であっても新一に激しく求められることに悦びを感じながら、蘭ははじめて行きついていた。

 そして、しばらくは身動きも出来ずに呆然と天井を見ている。心と体のアンバランスに戸惑っている。

 新一を求めている。だけど、それは心のはずだったのに。

 着ていたものはすべて放り出されていた。下着もすべて。「いやらしい」自分を認めたくない。・・・だけど、これは

いったいなに?全てを受け止めるほど蘭は大人ではなかった。

 汗ばんだ体に波打つ鼓動。顔は紅潮し、髪は乱れていた。

 

 その時、階下で物音がしたと思ったら、間もなく部屋にノックの音が響いた。

 ドアのそばに立つ人影が「蘭ねーちゃん?」と呼ぶ。

 その声はコナン。

 開けないで、と願ったが、次の瞬間ドアは開いた。

「入るよ、蘭ねーちゃん。どうしたの?」

 いるはずの蘭が返事一つしないのに不信に思ったコナンがそろそろとドアを開け部屋へ入ってきた。

「コナン君!」

 驚いた蘭は、シーツを首元まで引っ張りあげておどおどしている。

 ベッドの周りに散乱した衣類。蘭の紅潮した顔、乱れた髪。

「なにかあったのか?」

 コナンの口調が変わった。見つめる目も違う。

「来ないで!お願いだから。」

 蘭が顔を赤らめてうつむいている。

 コナンは子供なのに。子供なのに見つめられると責められているような気がして視線をそらせてしまう。

 数秒の後、何かを察したようにコナンの鋭い目がやさしい目に変わっていた。

 気づかれたかもしれない。

 なぜか子供のはずのコナンに全てを見透かされた気がした。

「来ないで・・・、コナン君、恥ずかしいから。ね・・。」

 懇願するように蘭はコナンを見る。

 目が潤み、それがどこか大人の色香を感じさせコナンをドキリとさせていた。

 コナンは自分の姿に絶望しつつも蘭に近づいていく。

「蘭ねーちゃん、顔が赤いよ。熱でもあるんじゃないの?」

 子供の台詞を吐きながら、一方で自分を責めながら。

「お願い、来ないで!」

 シーツを持つ手が更に強くそれを引っ張り、隙間から蘭の白い足先が覗いている。

「でも熱があるんなら薬飲まなきゃいけないし、病院に行ったほうがいいかもしれないし・・・。」

 こんなこと卑劣かもしれない。思いつつも蘭に惑わされている。

 ひょいとベッドに昇り、蘭の様子を窺う。

 どうしようというわけではない。どうしようもないんだから。

「熱は?」

 顔を近づける。蘭の肩に両手で手を添え、額を自分のに当てる。蘭の髪が邪魔をするので、もう一度

その髪に手を添えて、額を当ててみる。

「熱なんてないわよ。大丈夫だから、ね。」

 そう言ってコナンの手を離そうとしたとき、二人の視線がぶつかった。

「蘭・・・。」

 蘭には新一の声が聞こえた気がした。だけど、それはきっと空耳。そしてほんの一瞬コナンの顔が

新一とだぶる。

 そのくちびるにそっと触れた。それはどちらともなくごく自然に。

「コナンくん・・・。」

 蘭は自分の行為に自問自答する。このくちづけは決して子供をあやすようなおどけたそれとは違う。そして、

今、確かに感じたのは新一の匂い。

 胸が高鳴る。

「蘭ねーちゃん。」

 呼びながらも続ける言葉が見つからないコナン。

 蘭は動くに動けないでいる。今、裸のまま、このシーツを離すこともできない。

「新一・・・。」

 そこにいるのがコナンだと認識し我に返った蘭は、行き場のない新一への思いを抱き、さびしさに暮れた。

「あなたが、コナン君が、新一ならいいのに・・・。」

 それがコナンを傷つける言葉だとは気づかず、蘭は「新一」でなく「コナン」を見つめた。

「ごめんね、コナンくん。」

 蘭はにっこり笑った。

 

 新一として触れることができない。もどかしく狂おしく。

 こんなとき蘭にやさしくなれない自分を「人間ができていない」と笑ってくれ。

 自分本意で、わがままな男だと罵られても、それでも・・・。

「蘭ねーちゃん、ここでいっしょにお昼寝していい?なんか眠くなってきちゃって。」

 子供の振りを続けてでも蘭に触れたかった。

「ちょ、ちょっと、コナンくん・・・。」

 蘭は困惑する。

 「ふぁ〜あ。」わざとらしくあくびをして見せ、蘭の強く掴んでいるシーツを無理やり剥がした。裸の胸がそこに

あるのにどうしても正視できない。気づかない振りでシーツの中へ滑り込む。勿論さりげなく触れることも

出来たはずなのにそれもできない。

 そんなコナンに蘭はくすっと笑った。

「コナンくん、もっとこっちおいで。」

 コナンは戸惑って寝た振りを決めた。意気地がない。

「また眼鏡かけたまま寝ちゃって・・・。」

 コナンの眼鏡をそっと取る。新一の幼い頃とそっくりの寝顔がそこにある。懐かしむようにそっとその頬に

くちづけた。そしてその髪を撫でる。

「新一・・・早く戻ってきて・・・。」

 コナンを裸の胸に抱き寄せながら、蘭の涙は流れた。

 コナンは身動きひとつできず、そんな状態でありながらも切なさは増すばかりだった。

 

 

 時は流れて。

 仕事に疲れてベッドで横たわる新一。そして朝、気づくと、いつも蘭の胸に抱かれていた。そこはとても

あたたかで、やさしさに満ち溢れ、新一を癒した。

 あの切なさも、今は思い出のひとつとなっている。

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