ティンカーベルのデジャヴ
<恋ふたたび サイドストーリー6>

作・華


志保がまだ、小学生の頃…もっとも学校には通っていなかったので
自分では何年生なのかよく分かってないかった頃…
監獄のような研究室で、英才教育を受けていた。
外出することもままならなかったが
5月の風のさわやかな日、志保を指導していた教官が
組織の支部から急に呼び出しを受けた。

その日はあいにく研究室には、教官と志保しかいなかった。
教官は仕方なく、志保をいっしょに連れて行くことにした。
タクシーを乗り継いで、尾行を気ににしながら、移動すること数時間。
静かな住宅街のマンションの前に降り立った。

志保は、教官からマンションの中庭にある公園で
遊んでいるようにと命じられたが困ってしまった。
「遊べ」といわれても、どうしていいのか分からない。
遊んだことがないからである。子供たちの歓声が響いていたが
どうすることも出来ず、一人ベンチに座っていた。


志保の座った1つ向こうのベンチに楽しそうにしている親子いた。
ベンチに座ったお母さんがバギーの中の子供に話しかけている。
…あんなちいさな赤ちゃんに話しかけても分かるわけないのに…
でも、志保は、なぜか目が離せなかった。
気になって立ち上がって近くに行ってみた。
ホンモノの赤ちゃんを見たことがなかったからだろうか。

…何か話してみたいと思ったが
志保は、話しかけるすべを知らなかった。
知らない人に話しかけたこともないし、
組織以外の人と交流したことすらなかった。
迷っていると、お母さんがにっこりと微笑んだ。

「赤ちゃん好き?」
志保は首をふった。
「分からない。だって見たことないもの」
「そう、じゃぁ、見てみたら?ほぉら」
ミルクの匂いがしている。
そのとき、その赤ちゃんと志保の目が合った。
「だぁ」
「しゃべっているの?」
「ええ、きっとあなたのことを気に入ったんだと思うわ」
「ねえ、手を握ってみてもいい?」
「もちろんよ」

赤ちゃんの手は、小さい。ふにゃっとして冷たかった。
でも、志保の手を力強く握り返してきた。
…どこにそんな力があるの?…
「あら、このお姉ちゃんのことが好きなのね」
お母さんは、赤ちゃんの頭をなでた。
「ぶぐぅ〜」

…この子にまた会える日があるのだろうか。
いいえ、きっとない。
また、研究室に閉じ込められた生活が待っている。
でも、こんな愛らしい命の将来を祝福したい。
わたしに何か出来るかしら…

そう考えた志保は、そっとその子の頬にくちづけた。
「ありがとう、お姉ちゃん」
お母さんはそう言うと、志保を抱きしめた。
お母さんの匂いは、赤ちゃんの匂いと同じで、
志保は心地よい幸せに包まれた。



公園でかわいらしい妖精に出会ったお母さんは
その不思議な嬉しさとやさしいひとときが
忘れられずに新聞に投書した。
どこかの街で、その妖精がその投書を読んでいてくれると期待して。

残念ながら、志保がその新聞を読むことはなかったが
その投書を切り抜いていたある女子高生がいた。
わたしもいつか…幸せな時を過ごしたい…そんな夢を見ていた。
そして、その切り抜きが時を経て、志保の手に渡ることになる。
でも、それは、まだずっと先の話…。





公園で子供を連れて散歩している蘭を志保が呼びとめた。
「蘭、蘭じゃない?!どうしたのこんな遠くまで散歩?
帰るの大変じゃない?工藤くんが心配するわよ」
「…う、うん。新一の仕事が忙しくて、書斎に缶詰になってやっていたから
邪魔しちゃ悪いかなと思って、外に出たのよ。
なんだか、気持よくてバギーを押して散歩していたんだけれど…」
「まさか、道に迷ったとか…」
「ええ、家に帰れなくなっちゃって…。
ちょっとのつもりだったから、財布も携帯もなくって
どうしようかと思っていたの」
「やだわ。でも、あなたのその姿。
とても切羽詰っているようには見えなかったわよ。なんだか楽しそう」

「賢ちゃんもゴキゲンね。うわぁ〜わたしに向かって、笑っているわ」
「決っているじゃない、賢ちゃんは志保のことがおきにいりなのよ」
わたしって、赤ん坊に人気があるのかしら…
そう思いながら、志保は、前にも一度、似たようなことがあったと考えていた。
「ねえ、こんな風に蘭と公園であったことあったかしら?」
「なかったと思うけど…」
「そう…じゃあ、いつのことだったのかしら…。
まぁ、賢ちゃんまた笑っている。
かわいいからご褒美にお姉さんがちゅーしてあげるわ」



蘭の子もいつかと同じミルクの匂いがした。
そして、志保の心に幼い日の思い出がよみがえってきた。
…あぁ、あのときね…

あの赤ちゃんがかわいくて、思わずくちづけてしまったが、
とても気恥ずかしくて「それじゃ、さようなら」と
うつむきながらいうと同時に、志保はふわりと身を翻して
その場から逃げるようにかけだしてしまった。
振り向くことすら出来なかったが、志保の背中に
あのお母さんが赤ちゃんに話しかけている声が聞こえてきた。



「光彦、また、あのお姉ちゃんに会えるといいわね」





おしまい


 

とっぷ