わたしの愛する
プライベート☆アイ
<恋ふたたび:サイドエピソード2>
作・華 |
ホテルの高層階の窓から、東の空が白んでくるのが見えてきた。
歩美のまとっているのはシーツだけ。
彼女はテーブルの上にあった昨夜の残りのブルーベリーをつまんだ。
シャンペングラスには、
もう、発泡していない静かなシャンペンが少し残っていた。
この2週間余りは、あっという間に過ぎていった。
元太からプロポーズされたのが、ちょうど2ヶ月前。
そして、昨日の結婚式まで、なんと忙しかったことか。
昨夜、披露宴を終え、部屋に入ると、
シャンペンとベリー類を盛り合わせた籠が届けられていた。
メッセージカードを見ると、新一、蘭、志保そして光彦の名前があった。
現実感のない披露宴から、
実体のあるいつもの優しさに触れ、思わず涙ぐんでしまった。
そんな歩美を元太は抱きしめて、そして優しいくちづけを贈った。
歩美は、最後に英理から耳打ちされた
「赤ちゃんが欲しければ望むときに産むべきよ。
キャリアの妨げになるとは限らないわ。
知恵を絞って乗り越えることができるのよ」
という言葉を思い出しながら、
元太からの初めての甘いくちづけに酔っていた。
元太と歩美は結婚の約束をしたが、
元太は歩美に軽いくちづけ以上のことをしようとはしなかった。
歩美は彼になら、無理やり奪われても
構わないとまで思いつめていたので、
プロポーズした後も、なにもしない彼が
不可解であり、不満でもあった。
彼女はついに決心をして、
彼女から積極的な行動に出ることにした。
しかし、それは元太から、一喝されてしまった。
「絶対にダメだっ!
オレは結婚するまでは、一線を超えたくない。
いろいろ考え方は、あるんだろうけど
これは、オレの歩美に対する愛情だと思っている。
おまえを激しく抱きしめたりしたら
そこで止めることが出来なくなる。だから…。」
「元太君、なんでそんな風に考えるの。
歩美はもっともっと触れて欲しいと思っているし
あなたの子供だったら、
結婚なんて関係なく生むことにだって、迷わないわよ」
「歩美。気持ちは嬉しいけど、それはダメだ。
古いといわれるかも知れねぇが、
オレは、結婚してからじゃないとダメだと思っているんだ。
歩美が大切で、大切で、しかたねーんだ。
歩美だからこそ、強くそう思えるんだよっ」
その元太の話を聞いて、歩美はとにかく結婚を急ぐことにした。
歩美自身は、結婚する、しないというのは、
あまり強く意識していなかったが
元太がそう思っているのであれば、少しでも早くするしかない。
…もっと、もっと触れ合いたいから…
決断してからが、大変であった。
結婚式、披露宴の会場、新居、衣装、生活用品…
しなければならないことが、山ほどあった。
元太は歩美に引きずられ、ただ、嬉しそうにしていた。
そして、ようやく昨日の華燭の典となったのである。
披露宴会場のホテルの担当者からは、
準備期間の最短記録であると皮肉られた。
昨夜は、歩美にとって夢のようであった。
「あなたの赤ちゃんが欲しい…」といった歩美の発言は、
きちんと話し合ってからだと却下されたが
元太は彼女が、望んでいた以上のものを与えたくれた。
彼は優しかった。そして、歩美は完全に包みこまれた。
結婚するまではと決めていた彼の決心が、どれほど固く、
そして、どれほど彼女を思っての事か。
それに気づいた彼女の目に涙があふれると、元太は優しく
「今日がイヤだったら、無理にしなくてもいいんだぜ」とまで言った。
「…バカね…。そんなことあるわけないじゃない」
彼女の身体にはもう、すでに、取り去るものはなにもなかった。
…わたしは、どうしてコナン君をあきらめることが出来たのかしら…
歩美は、白んでくる空を眺めながら考えていた。
コナン君が新一さんとして戻ってきた後?…ううん…
…それから少しして、新一さんと蘭お姉さんが結婚したとき?
…違うわ…
蘭お姉さんが、ステキなひとだったから、
新一さんをずっと憧れの人として大切にできた。
よく、新一さんと蘭お姉さんの家へ遊びに行っていた。
学校が終わると、光彦君はお母さんが仕事だからって、
ランドセルのまま、新一さんの家へ行ってしまった。
わたしはいったん家に帰らなくちゃならない。
でも、やっぱり、ひとりじゃ行きにくくて、
家でぐずぐずしていると、
必ず、元太君が誘いに来てくれたんだよね。
「オレは、新一になんか用はないが、
どうせ歩美はひとりじゃいけねえんだろ」って、
来るたびに言っていた。
元太君も、ひとりじゃてれくさかったんだよね。
新一さんや蘭お姉さんが忙しいときは、
隣の博士の家へも行ったりしていた。
新一さんと蘭お姉さんは、いつもラブラブだったけれど、
わたしたち子供の前で見せる2人の振る舞いは、
おどけてたり、ふざけたりしている感じだった。
…そうだ…6年生の3学期になって間もなく、
元太君も光彦君も忙しくて、
わたしが一人で、新一さんの家を訪ねた日があった。
「卒業」という別れが無性に寂しくて、蘭お姉さんと話をしたかった。
いつものように勝手に門をあけて、玄関のチャイムを鳴らそうとしたとき、
リビングの窓の近くで物音がした。
ふと、そちらのほうへ目を向けると、人影が見えた。
思わず玄関先の木の影に隠れた。
それは、蘭お姉さんと新一さんだった。
2人は美しい抱擁をしていた。
蘭お姉さんの後ろでひとつにまとめた髪が、
新一さんの手が触れたとたん、するりと解けて肩にかかった。
蘭お姉さんが、綺麗な笑顔を浮かべた。
子供のわたしでさえ、ドキッとするほど色っぽかった。
どきどきしながら見ていると、
新一さんは蘭お姉さんの頬をやさしく両手で挟み、
鼻が触れあうほど顔を近づけ、
わたしが見たこともないような優しい微笑を浮かべた。
もう、それ以上、そこにとどまることは出来なかった。
…そうか…あのときだったんだよね…。
そうしたら、1つ気付いたことがあった。
光彦君って、新一さんの弟みたいで、なんだか似ているってことに。
いくら憧れたって、新一さんじゃあしょうがない…
光彦君は、コナン君と一緒にいなくなって、
そのまま戻らなかった灰原さんのことが、まだ、好きみたい。
でも、わたしが光彦君のことが気になるのは、普通のことだよね。
だって、同級生だし、ずっと一緒だったんだもんね。
そんな風に考えたっけ。
もちろん、光彦君は、わたしのことは眼中にないみたいだった。
わたしは、中学に入ってから、よく知らない人からも、
付き合ってくださいって言われて、困ってしまっていた。
あぁ…このときも元太君がいつも、ついていてくれたんだよね…。
きちんと断っても、時々しつこい人がいて、ちょっと怖いこともあった。
そんなとき、いつも元太君が守ってくれた。
わたしって、なんてバカだったんだろう。
こんなステキな人が、ずっとそばにいたのに…。
結局、コナン君の幻想から、抜けられなかったのかもしれないね。
光彦君のことは、本当に好きだったのか、今考えるとよくわからない。
ずっと、コナン君を重ねて、光彦君を見ていたのかもしれない。
でも、確かに光彦君に対しても、切ない心の痛みは、感じていた…。
小学校の同窓会の日…たしか、高校の頃だった…。
その日は、小学校の元の教室に集合してから
会場に向かうことになっていた。
1ヶ月後には、わたしたちが学んだ校舎は建て直しのため
取り壊されることになっていたからだった。
集合時間よりも30分以上早く着いてしまったので
誰もいないと思って教室へ入ると、
光彦君が、子供用の小さな机に座って、外を眺めていた。
声を掛けようと思ったけれど、わたしの声は声にならなかった。
彼が座っていた席は、まぎれもなく、灰原さんの席。
わたしだって、忘れない。
灰原さんが転校してきた初日、灰原さんが自ら、選んだ席。
…コナン君のとなり…。
転校生だから優しくしなくちゃって思ったから
我慢したけど、すっごくくやしかった。だから、忘れない。
灰原さんはお姉さんみたいで、ステキな子だったから、
仲良くなれたけれど、第一印象は最悪だったんだよね…。
そう…今、光彦君がしているように、
灰原さんも、ああやって、遠くを見るような目をして、
外をぼんやり眺めていることがあった。
外見は全然違うけれど、灰原さんが光彦君にのり移ったみたいだった。
そのとき、わたしは、光彦君は必ず、
灰原さんとめぐり合えるって確信したんだった。
そして、同時にわたしの思いの行き場のないことにも…。
そんなときも元太君は、いつも温かかった。
でも、このときは、わたし、まだまだ、分かっていなかったんだよね。
最愛の人に、自分の気持ちを伝えられない本当の辛さは、
もっと、ずっと後になってから知ったんだった。
あの教室での出来事で、
光彦君を諦めなくてはいけないことを
改めて思い知らされたけれど、
光彦君が灰原さんでない人と
付き合うことになるなんて想像もしていなかった。
灰原さんじゃなかったら、
もしかしたら、わたしかもしれないとちょっぴり自負していた。
だから、光彦君に灰原さんでない恋人が出来たのが、信じられなくて
一時、自分を見失っていた。
わたしも、今まで想っていた人ではない、違う世界の人と
めぐり合えるのかもしれないと思い込もうとしていた。
もっと、子供だったら、
一度は諦めた光彦君のことをまた、気にしていたかもしれない。
もっと、大人だったら、
別の王子さまとめぐり合ええるなんて幻想は、抱かなかったかもしれない。
何を信じたらいいいのか分からない、そんなときだったんだと思う。
交際を申し込んできてくれる人すべてを、
そのめぐり合えるチャンスだと信じて、いろんな人と付き合ってみた。
でも、それは幻想だった。
自分の心もわからなくなってきたとき、わたしは、罠にはまってしまった。
自業自得の結果だった。
この時も、元太君が助けてくれた。
元太君がいなかったら、
わたしはどうなっていたのか考えたくもない。
わたしの、すべてを守ってくれた元太君の存在に
初めて気付いたときだった。
いつも、いつも、元太君はわたしのそばにいて励ましてくれていた。
いつも、守ってくれていた。
そう、元太君のいない生活なんて考えられない…。思い知らされた…。
このとき初めて分かった。
コナンくんと蘭お姉さんが一緒にいることも、
光彦君が灰原さんと一緒にいることも、納得しているわたしがいた。
でも、元太君がいなくなったら、
わたしは、この世界にいられないと思った。
わたしのすべてを受けとめてくれる
大切なたったひとりの男性(ひと)だから…。
いまごろになって、気づく自分が情けなかった。
それなのに、落ち込んでいるわたしを、
元太君はすべてを投げ出して支えてくれた。
もっとも、落ち込んでいる理由を完全に誤解して、
事件のショックだと思っていたみたいだったけれど。
どういう風にわたしのことを考えてくれていたのか、
そのときは分からなかった。でも、確かめることは出来なかった。
いまさら、何をいえばいいのか分からなかった。
助けてもらって、初めて自分の本当の気持ちに気付きましたなんて、
虫のいい、押し付けがましい告白なんてしたくなかった。
元太君、困るに決まっている。だって、やさしいんだもん。
きっと、いつも、歩美の危なっかしい行動を見ていられなかったんだよね。
だから、いきなり、わたしが、告白したら、困っちゃうに決まっている。
本当に自分に腹が立って、なにも手につかなかった。
そんな姿を友達の誰にも見られたくなくて、学校も休みがちになった。
そんなある日、おかあさんに
「元太君がね、今日、夜ご飯を食べに行きましょうってお電話くれたのよ。
これから迎えにきてくださるみたいだから、
グズグズしていないで早く支度をなさい」と言われた。
わたしが落ち込んでいることは、
おかあさんにもよく分かっていたと思うから、
おかあさんが、勝手に元太君と約束してしまったようだった。
わたしが断ると思ったらしい。
元太君が誘ってくれたのに断るわけないじゃない。
どんな顔をして会えばいいのか分からないけれど、
別に、わたしの気持ちが分かってしまうわけではないので、
断る理由がないじゃないの。
ううん。本当は誘ってもらって嬉しくて舞い上がっていた。
なにも考えていなかった。
着ていく服は決まっていた。
ありもしないデートをシミュレーションして、
それに合わせたルージュまで用意してあった。
寂しい買い物だった。
でも、それがちょっと違った形ではあるものの、
役立つときが巡ってきた。
元太君が、ずっと前に似合っているって言ってくれた
サーモンピンクのAラインのシンプルなワンピースに
オフホワイトのシルクニットのボレロを合わせてみた。
そして少し光沢のあるピンクのルージュをさせば完成だ。
わたしがばっちりキメて出ていったら、
お母さんと元太君は驚いていた。
わたしにも分かるぐらいに…。
二人ともわたしが、
すぐに出掛けるとは思っていなかったみたいだった。
予想通り、元太君は『うな重』を食べに行こうと言ったので、
思わず吹出してしまった。
うな重を食べたけれど、元太君はまだ食べ足りなさそうだったから、
閉まりかけていたケーキ屋さんのシャッターをくぐって、
私の好きなモンブランと元太君の好きな苺のショートケーキを2つ、
お母さんとお父さんにはチーズケーキを買った。
そして、わたしのうちでそのケーキを食べた。
とても幸せなときを過ごした。
ここのところ落ち込んでいたので
こんなに心から笑ったことがなかった。
元太君が帰って、お母さんとコーヒーカップを洗いながら、
涙が止まらなくなってしまった。
こんなときがずっと続けばいいのにと思った。
でも、この思いは伝えられない。だから、こんなときは続かない…。
その後も、わたしを元気付けようと、
元太君は、いろいろなところに連れていってくれた。
元太君が困らないように、わたしは絶対誘わなかった。
でも、彼は悲しいほど、わたしのことを理解してくれていた。
雑誌やテレビでみて、わたしが行ってみたいとか、
見てみたいって思ったところには、
わたしが言わなくても分かっていてくれて
必ずといっていいほど連れていってくれた。
なんで、誘ってくれるのかよく分からなかったけれど、やっぱり、嬉しかった。
別に、わたしのことを思ってくれているわけじゃないと分かっていても、
一緒に過ごせる時間があることが幸せだった。
元太君には私の想いを悟られまいと思っていたけれど、
やっぱり、嬉しい気持ちを隠すことは難しかった。
つい、幸せな気持ちになっていることに気付く。
きっと、夢見る乙女の表情をしていたに違いない。
いけないと思って話題をそらす。
だいじょうぶ、気付かれていない…。そんなことを繰り返した。
週末はいつでも、こんな風にデートみたいなことをしていたから
周りの人は、わたしたちのことを恋人だと思っていたみたいだった。
わたしは、そうじゃないって分かっていたけれど、
心地よいこの関係を壊したくなかった。
だから、元太君が、彼女を作るまでは…
もうひとりで大丈夫だろ…って言われるまでは
恋人気分を味わわせてもらおうと開き直っていた。
元太君の気持ちには、期待してはいけない。
わたしには、その資格なんてぜんぜんない。
そう思うようにした。
ある年のクリスマスが迫った日に、
いつものように夕食を一緒に食べる約束をした。
ボーナスも出たからって、元太君がおごってくれた。
ブラッスリーみたいな感じの
気軽な洋風のレストランで食事も美味しかった。
いつも思うことだけれど、
元太君って、とっても楽しそうに食事をする。
食べることが好きなんだと思うけれど、周りの人も楽しくさせて
そして、それを作った人が喜ぶだろうなって思わせるように
美味しそうに食べる。
時期も時期だったから、レストランはカップルばかりだった。
みんな、相手の気持ちを探るような雰囲気で、
静かに…ちょっと、美味しいのかどうか
分からないような感じで食べていた。
だから、わたしたちは目立ったみたいだった。
お会計をするときに、お店のお姉さんから話しかけられた。
「楽しそうにお食事なさるんですね。ありがとうございます。
お二人のお付き合いは長いんですか?」
「…え?…ちっちがいます…。友達なんです。小学校のときからの」
元太君が即座に否定したのを聞いて、ちょっとがっかりした。
本当のことを答えただけだけなんだけど
えへへ…なんて照れ笑いを浮かべるぐらいで、
ハッキリとした否定の言葉は言って欲しくなかった。
でも、お店のお姉さんは、意味ありげに微笑んで
「うふふ…。いい夜をお過ごしになって…」と言った。
なんだか、いつもとちょっと違う雰囲気になって店の外に出た。
だから、わたしは、いつもより、
少しだけ、ほんの少しだけ、元太君に近づいて歩いてみた。
触れ合いそうで、触れない距離…。
二人で並んで歩いていると、
元太君の手が少し動いたように見えた。
わたしは、期待した…
手をつないでくれるの?
肩を抱いてくれるの?
腰に手を回してくれるの?
…待ったけれど、何も起こらなかった。
期待ばっかりしているから、
元太君の手が動いたように見えたのかもしれない。
元太君の表情は、冴えなかった。
ポケットに手を突っ込んで、少し早足で歩き始めていた。
…恋人でないことが、こんなに哀しいこととは知らなかった…。
でも、このとき元太君はやせ我慢をしていたんだってことを、
プロポーズされたときに知った。
元太君も歩美と同じ気持ちだったことがすごく嬉しかった。
…ありがとう、元太君…
…元太君と会えたわたしの運命は、祝福されている。
元太君が今、差し出してくれた手を、わたし一生離さない…
朝日が眩しくなってきた。
眠っていた元太が眩しそうな仕草をしながら、寝返りをうった。
「…あゆみぃ…」
歩美は、驚いて振り向いたが、彼はまだ夢の中。
…なぁんだ、寝言かぁ…
でも、寝返った勢いで掛けていた毛布がずれ、彼の背中が見えた。
誰が見ているわけでもないのに、なんとなく気恥ずかしくなり
彼女は毛布を直そうと近寄った。
毛布を直し、彼の頬に唇を近づけると、
急に腕を掴まれ、ぎゅっと抱きしめられた。
…なんて、心地いいの…
…なんて、幸せなの…
また、2人の甘いときがリフレーンする。
おしまい
top
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