close my eyes 遠野りえ
俺は半ば無理やりそこに連れてこられた。
「おめぇももう17だから、男になれよっ」
酔っ払った小五郎が、行きつけのその店へ案内した。小五郎というのは、俺が厄介になっている家の主で、俺の父の友人。俺の父親は遠く外国に出ているため、小五郎に世話になることになったのだった。
小五郎は少しばかり遊び人だったため、妻・英理はもう10年も前に愛想をつかして家を出ていた。一人娘・蘭を連れて。
その後の英理と蘭の消息は数年するとぱたりとなくなった。噂ではとんでもない男に引っかかった英理が借金を抱えて苦労しているだの、蘭などは借金のカタに売られてしまっただの。噂は噂だと聞き流していた俺も、幼かった頃の蘭を思い出すと胸が痛むのだった。
今頃どうしているんだ?蘭。
思えばあれが初恋だったと気づいた時にはもう蘭の行方は知れなかった。
そこへ来たのは無理やりだったが興味がないわけではなかった。俺だって男だから女に関して興味津々なのは当然。だけど、出来るなら商売女が最初なんていうのは勘弁してもらいたいと心の隅で思っていた。
だけど。
「それじゃあ、なんだ?おめぇ、好きな女でもいるのか?」
と聞かれても首を横に振るしかない。
「なら別にいいじゃねーか?」
背中を押されて大人の世界に一気に飛び込んでいた。
俺はどうしてよいかわからず頬を染め俯き加減で、並ぶ女を見た。
化粧を施した女たちは何やら世間話に夢中なようで下品に笑っている。こちらで見定められていることにも気づかず。その中に一人物憂げな横顔が目に入った。その面影が幼なじみの蘭にどこか似ている。俺は迷わずその女に決めた。
まだ10歳かそこらの女の子が案内をする。俺は緊張しながら後に続いて部屋に入った。
迎えたその女は、俺の顔も見ずに淡々と挨拶をする。
「胡蝶です」
胡蝶…。俺の連想するものはそのまま胡蝶蘭だった。…まさか本当に?
女に近づき膝をつく。そしてじっとその顔を見た。
女もその様子にようやく俺の顔をまともに見つめた。ハッと息を呑む一瞬。
…蘭、なのか?…本当に?…どうしてこんなところに?
子供の頃の健康的な笑顔の蘭を思い出す。優しくて朗らかで。俺は確かに恋していたんだ。
「蘭なのか?」
こくりと頷くと共にその瞳から涙が溢れた。
「新一…」
俺の名を呼び、涙はとめどなく零れ落ちる。
「どうしてこんなところに?」
「…こんなところで会いたくなかった」
「どうして?」
「…ずっと会いたかったけど、こんなところで会いたくなかった。こんなわたし、見せたくなかった……」
背中を向けて号泣している。
俺はどうしていいかわからず、胸を貸すことも出来ぬまま蘭が泣くのを見ていた。
「俺が…こんなとこへ来なきゃよかったんだな」
ポツリとこぼした言葉に蘭が傷つくことなんて考える余裕がなかった。
「ごめん。帰る…」
立ち上がると、蘭は困った顔で俺の服の袖を掴んだ。
「待って」
懇願するように「帰らないで」と言う。
「困るの。そんなすぐに帰られたら、わたし…。それにあなたもお金払っちゃってるんでしょう?イヤじゃなかったら……お願い」
その意味を理解するのに数秒かかった。
これは蘭の仕事。俺は客。そういうことなんだな?
俺のこの傷ついた心なんて蘭はわかっていないんだろう。…そりゃそうだ。蘭に気持ちを伝えたことなんてない。幼い日の思い出に過ぎないんだから。
「わかったよ。…でも、俺はおめぇを抱く気はねぇからな?」
愛しさは憎しみに変わっていくような気がする。俺は横目で引かれた布団を眺めながら、その横に座った。
「……どうして?」
怯えたような目で蘭は俺を見た。
「いいじゃねーか。久しぶりに会ったんだし…。話でもして時間潰しゃぁよぉ」
「でも、それじゃ……」
「俺は最初から気乗りしてなかったんだ。ここへ来たのも…」
小五郎さんがと言いかけてやめた。それは蘭の父の名前。
「何?」
「いや、なんでもねーよっ」
「…もしかして、こういうところははじめて?」
「ったりめーだ」
「…そう」
ホッとしたような顔をした蘭は、幼い頃の蘭と同じ表情になった気がした。
「わたしは…いいのよ?」
蘭が俺の手の上にそっと自分の手を乗せた。俺の胸の鼓動が早くなる。
「…おめぇ、そうやって何人も男を誘ったのか?」
「ちがっ…」
「商売だもんな。しょうがねぇよな。…俺だっておめぇから見れば客の一人に過ぎねーんだな」
吐き捨てると蘭がまた泣いた。
「ごめん…。好きでやってるわけじゃねーってわかってるけど、なんか許せねーんだ、俺…。おめぇは気がついてなかったかもしんねーけど、俺、ずっとおめぇが好きだったんだ。だから…」
「新一?」
「はは、言うつもりじゃなかったんだけどな」
「…わたしも」
「えっ?」
「わたしもずっと新一が…」
その瞳の中にあるもの、悲しみなのか喜びなのかわからなかった。だけど、ここで出会ったことが、こんなカタチであったとしても蘭には一時の幸せなのかもしれないと思ったら、もう俺はその細い肩を抱いていた。
「抱いて…」
声が震えている。
俺はこの気持ちが愛しさなのか懐かしさなのか、それとも憐れみなのかわからないまま、蘭をそっと横たわらせた。
その唇にくちづけると紅の匂いが不快だった。悲しい気持ちに取り込まれていく。蘭は下着もつけぬまま安物のローブを纏っていただけだったから、紐を解くとすぐに肢体があらわになった。
こんなに簡単に裸にされてしまう蘭を思うだけで居たたまれなくなった。
もう何人の手で汚されてきたんだ?
俺じゃなくても蘭はきっとこうしてここに横たえられていたに違いないと思うと、悲しくてたまらなくなる。
幼いくちづけしか出来ない俺に、蘭が情熱的なくちづけを返してくる。舌を絡めるその艶かしい動きに俺の体は熱くなっていった。
「はじめてなんだね?」
蘭が耳元で囁く。そうして、俺に覆いかぶさるようにして蘭が上になった。
「わたしね、自分から口に、こんなふうにね…キスしたのってはじめてなのよ」
そしてもう一度くちづけをはじめる。蘭の唾液と俺の唾液が溶け合って気が遠くなる。蘭の手が俺の手を導く。柔らかな胸元にはじめて触れて、俺はどうしていいかわからずにただゆっくりとその感触に浸っていた。そして立ち上がる胸の先端に気づき指で探る。蘭がピクリと反応を示すからその部分に唇を寄せた。しばらくそれを弄び蘭の声を聞く。俺はそんなオンナの声に動揺し更にのぼせ上った。蘭は悦びの声を上げながらその手で俺を脱がせていった。俺の太股に濡れた感触が広がる。蘭の密やかな部分が密着して俺を誘っていた。
待ちきれずに俺の手を導きはじめる。
「ここよ」と微笑む蘭が俺の指をそこへ埋めていった。溢れ出していたものに驚きながら、あたたかいその部分を確かめるようにゆっくりと揺り動かしていく。
「…いい、のか?」
「うん…すご…く…いいよ…」
艶めいた言葉や表情に、俺は抑えきれなくなる。
「入れて、いい?」
「うん」
俺は蘭を返して上に乗る。はじめての行為に緊張した。
「…大丈夫よ、新一」
ゆっくりと蘭が俺を抱きしめて、はじめて二人重なった。
あたたかく包み込まれて、俺はその快感に浸った。腰を揺らせながら目を閉じた。蘭に感じた悲しみも今は忘れていた。
「好きよ、新一…」
耳元で囁かれた言葉に我に返る。…俺も好きなんだとどうしても言ってやれない。
蘭はもう一度俺を返して上になると、自分から腰を揺り動かし快楽の先へのぼりつめようとしている。俺ももう限界だった。小さく叫ぶように蘭が「イクッ…」と声を上げた時、俺ものぼりつめていた。
ほとばしる液体も気にせずに、蘭が俺を抱きしめる。
「ありがと…」
少ししあわせそうに感じたその蘭の表情が、俺を安堵させた。
「信じないかもしれないけど、今がはじめて…。今までイッタことなんてなかった…」
頬を染める蘭が、そんな話をしているにも関わらず何故か初々しく見えてしまう。
「ごめんね、こんなわたしで。…ごめんね、汚れたわたしで…。だから、もう来ないで。もうここには決して…」
俺は答えられないでいた。会いたくないわけじゃない。でも会うことが蘭にとって辛いことなら、会わないほうがいい。
「こんなとこ、やめられねーのか?」
「…ダメよ、そんなの無理」
「俺がなんとかして…」
「ダメ。やめたって一緒。ここにいた事実は変えられないから」
「だけど!!」
「わたしのために無理しないで。…もう忘れて」
「蘭……」
ただ抱きしめるしか出来ない。抱きしめるとまた欲しくなる。抱きしめると愛しさが増す。抱きしめるほどに愛してしまう。
「蘭…、蘭…、蘭っ!!」
*****
…………。
激しい動悸。汗。眩しい陽の光。
俺は今、目覚めたのか?
「…なんだ?今のは…。夢、か?」
あまりに鮮明で夢のような気がしない。だけど、どう考えたって夢。
ここは俺の部屋。工藤邸の二階。いつもの風景。窓の外に阿笠邸。広がる青空。
「…あれって一体いつの時代だ?」
ふと昨晩持ち込んだ数冊の本のうちの一冊を手にした。たまたま今日枕元に置きっぱなしだったその本は、優作の書斎にあった本で。優作の趣味趣向とはちょっと違った本だったのだが、ふと気にかかって寝る前に少しだけ読んだ。
時代は昭和。戦後の筑豊だったかで………。まさかこれのせいであんな夢を?
まだ思い出すとドキドキしてしまう。それは幻とは言え蘭の裸。
と、その時インターホンの音がした。
「うん?」
俺は時計を見る。昼の12時。
そういえば今日は蘭と映画に行こうって、それで昼には俺んちに蘭が来るって、そういう約束だった。
「やべっ」
何ひとつ用意していないどころか、まだベッドの中でパジャマ姿。しかもあんなリアルな夢を見たばかり。…ふと確認すると俺の興奮は股間のそれが証明している。うわっ。出るに出らんねーって。
すると「新一ぃ。いるんでしょ?入るわよッ!!」といつもの威勢のよさで、蘭が中へ入ってくるのがわかった。そしてずかずかと二階へ、ここへ向かってる様子だから困った。
ほどなくノックの音がした。
…俺は卑怯者となる。寝たフリ寝たフリ。
ドアが開いて、「もうっ!!まだ寝てるのぉ!!」と声がする。ベッドの前に立ち止まって、それこそ布団をひっぺ返されると覚悟していたのに……。
思わぬ誤算。蘭は俺の唇を盗むようにくちづけていった。
そして、枕元にあった本を掴む。
「…読みかけの本かしら。でも新一の読むタイプの本じゃないわよね…。『青春の門』?」
パラパラとその本を眺めた後、蘭はベッドにもたれ掛ったままその本を読みはじめた。そのうち俺が起き出すだろうと。
だけど俺はすっかり起き出すタイミングを失っていた。もう5分したらとか今か今かとタイミングを計るうち、蘭の寝息が聞こえはじめた。
「…寝たのか?」
その寝顔を見ながらホッとしてた。…よかった、あれが夢で。あんな悲劇はたくさんだ。確かに蘭とヤラシイことが出来たことはラッキーと言えばラッキーだったが、夢は夢だもんな。
こうして隣にいればきっといつかあんなふうに……夢の中のイヤラシイ蘭が目に映って焦りつつ、今はまだこのままでいいかと、蘭がしたのと同じように俺も蘭の唇にそっとキスをした。
*蘭新に挑戦ってことで、ごめんなさーい、夢オチでした。(遠野)